昨年、同じような時期に

こんな記事を書いたけれども、今年もついに先月シーズン4がNetFlixで公開され、やはりしばらく
の日々を送っていた。
しかも今回は熱い。なんたって
である。
実は1986年の来日時にダイアナ妃を生で見た
これは私の自慢、トップ20には必ず入ってくる出来事。
チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日した日、私は羽田空港の方まで見に行ったのだ(実は割と近くに住んでいた…)。
そして車で通り過ぎる妃をチラッと見ただけではなく
のである!!!いややっぱり自慢できることトップ5に入るな…
というのも、その日羽田空港から高速のインターのところまでの沿道はもちろん、世界で大注目のダイアナ妃を一目見ようという人々でいっぱいだった。
その人の波に入っていては背も低いしきっと見ることはできない…
そこで友達と高速のインターのところに行くのはどうかと話し合って、見に行ったら、警官が整理していて脇のフェンスの部分に近づけないようになっていた。
ところが!
割と土壇場になって、私たちちびっ子たちだけが大人と離れてフェンスに近づくことを警官が見逃してくれたのだ!!!(1986年当時のゆるさと言えよう)
かくして我々はフェンスによじのぼり、車が近づく気配を大歓声を聞きながら感じていた。
そして!!
超ラッキーなことに、こちら側に座っていたのはダイアナで、
あの瞬間は34年たった今も忘れない…あのダイアナ妃の笑顔。手を振ってた、窓越しに私たちを見て。
一緒にフェンスにしがみついて手を振った、N・E子ちゃん元気?(ちなみに私たちが4人だった、ということは覚えてるのだけど、私と妹とE子ちゃんと、あと誰だったか覚えてない汗)
一瞬の出来事だったけど、車が行っちゃった後で放心状態の私たち、ふと私が
って言ったら、
や、やったああああ!
ってガッツポーズで飛び上がって喜んだものよね…
今思うと、彼女は苦しんでいたのか…
夫妻が不仲だというのは、その6年後くらいから(日本では)伝わり始めてた頃だし、いつだったかダイアナがチャールズが差し出すペンを公衆の面前で拒否するなど、あからさまにしていた時
と驚いたものである。
生の彼女を見たとはいえ、私にとっては非現実的なおとぎ話のお姫様なのに、夫と喧嘩するだとか仲が悪いだとか、そんな人間らしい部分があるということに改めて驚いたのである。
もちろん「The Crown」は当時の表に出ている部分と、後のダイアナの告白なども繋ぎ合わせつつ、あの会話なんかは脚本家が勝手に想像しながら書いているのだからどこまで本当かはわからない。
ただはっきりしてるのは、
というのは事実で、もうここからして日本人からするとビックリである。
しかしその後は日本の報道にもどんどん流れてくるほど、チャールズ皇太子夫妻の不仲やらカミラという存在やら、スキャンダラスな実情が明らかにされていった。
こうした事実である部分に、脚本家が想像で会話や喧嘩などのストーリーをつけていったのが「The Crown」なのだが、
それにしてもダイアナ妃自らが言っていた「この結婚には常に3人(カミラを含む)が絡んでいました」という状況、国を挙げての婚礼で後戻りできなかったこと、それを弱冠二十歳の娘が背負ったこと、あまりにも過酷すぎて、私がちらっと見た車の中のあの光り輝くダイアナ(当時24歳)にそんな現実があったなんて、胸が痛くなってしまった。

ダイアナの死は衝撃的過ぎた
そして1997年のあの事故である。
私は大学に入っていて、夏休みももう終わろうかという頃、友人とドライブしていて昼頃から家を空けていた。
夕方ごろ、コンビニに売られてた夕刊にふと目を止めて驚愕した。
私はその時、一緒にドライブしていた友人に
「ダイアナ妃が事故死って見出しなんだけど…」
「ああ、そうみたいだね。昼間迎えに行くときにラジオでそんなこと言ってたよ」
「…………………………、死んじゃった、の…?」
「ラジオで聴いた時はまだ事故としか言ってなかったけど…」
という会話をしたのを覚えている。
まだインターネットも黎明期で大学や会社のPCを使って繋ぐ程度、携帯電話はただ電話をするだけの端末だという時代だった。
その日家に帰ってテレビをつけて、本当に亡くなってしまったのだと知り、結構な衝撃を受けたのを今でも思い出す。
外国のプリンセスというには、ダイアナはあまりにも大きすぎる存在だったと思う。
伯爵令嬢とはいえ嫁してプリンセスとなり、離婚で一度プリンセスのタイトルも剥奪されたが(貴族の姫の称号であるLadyに戻った)、
どんな生まれながらの姫よりも、彼女よりも有名かつ人気のあったプリンセスはいないだろう
と思う。
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