テレビ番組の偏向報道などにより、冤罪を確信する人が多い飯塚事件(池袋の暴走車事件ではなく、1992年に起きた福岡県飯塚市の小1女児2名の殺害事件)だが、前回それがいかにミスリードされた情報であるかを書いた。

今回は、冤罪派がしきりに疑う、遺留品発見現場となった場所に接する八丁峠でのカーブでの目撃証言(紺色のワンボックス、ダブルタイヤ、後方の窓にフィルム、ラインはない、など)について、私が
と考えるところを書いていきたいと思う。
この目撃証言自体は人間の記憶に基づくものに過ぎないから、状況証拠としても強いものではなく、単なる有力な情報でしかないとは思う。しかし私はこの目撃者の方が本当にお気の毒だと感じる。
被告(当時)の弁護団が検察側の提示する証拠に対して、少しでも信頼性を指摘できる余地があればしていくのは、それが彼らの使命なのだから当たり前なのだが、その主張をそのまま取ったテレビ報道が、この目撃者の方が警察官に誘導されていいかげんな発言をしたと視聴者に確信させるような伝え方をしており、そのために無実の人が死刑に処されてしまったかのように感じている人が多いようだ。この目撃者こそが怪しいかのような考えを持っている人さえいるようである。
後述する、この目撃証言の信用性を担保する証言をした同僚の方が、長年そのような立場に置かれて目撃者も辛い思いをされたと語っている。
善意の情報提供者がそのようなそしりを今なお受けている、というのは非常に嘆かわしく、
ということがわかるので解説していきたい。
この方と実験の被験者との大きな違い
目撃証言の詳細さの不自然さを証明するために弁護団が担ぎ出した日大教授が行った実験で、被験者は同じところを運転しても停車していた車の情報を目撃証言のようには記憶していなかった、とされている。
まず、この目撃者は
という大前提がある。日大教授が行った実験の被験者とは、その山道の運転手としての条件が全く異なる。
この山道に熟知しているということは
という点で、初めてこの道を運転する被験者とは全く違うということがわかる。
この目撃者の方は、当日は組合の職務として峠の上の方で山林の状況の検査、写真撮影のために1人で赴いていた。冬季において観光などで来るような場所でもないため、殆ど車とすれ違うこともない。そのようなところで珍しく車があり、さらにカーブで停車していて、おかしいなと思うのは自然であった。下りのカーブの多い山道で振り返りながら運転するのは、通常は危険なのでしないが、この方は道の状況を知っていたため、一瞬ならそういうことができたのだと思われる。(まあやっちゃダメだけどね…)
しかし
ということに留意しなければならない。
まず他に車があるのだから、記憶の中で色々と混ざり、カーブに停車していた車の記憶情報と混ざる。しかも山道で下っていては、対向車の方がより強い注意を払って見るようになるから、そちらで上書きもされるだろうと思う。
しかも他に車が通っている中では、そもそも他の車の存在に違和感が強くない。
というだけでもそれなりに強烈な印象を伴って見たのである。普通に考えてみてほしいけれど、人通りがある場所ですれ違う人のことなど記憶しないが、どこかの田舎で人がいないと思って歩いていたら1人見かけて意外に感じた、ということがあれば、その日から数日くらいならそれを情景記憶として頭に残しているものではないだろうか?
前方のカーブに停車した1台の車に注視するのは当然の状況だった
車を運転したことがある人なら誰しもわかると思うが、前方にカーブがあるなら、ただでさえ少しの緊張を伴ってそのカーブを見ながら運転する。
そのカーブに、他に車など一切通ってない状況で1台の車が停まっていれば、何も思わなくても数秒はその車を注視するのであり、その情景記憶はある程度残る。
そして他の車とすれ違うことがなければ、他の視覚情報が記憶に混じってくることもない。
そして上で書いたように、この目撃者にとっては、その時期に他の車を見かけたこと自体が意外であった。冬の閑散とした峠の山道で車が停まっていたら、私が想像してみると、ちょっと不気味にさえ感じる。(実際不気味どころではないことが行われていたのだが)
しかもカーブに停車しているというのは本来危険なことなので、より注意を払った。
すると
わけである。これはかなり強烈な印象をもって観察するに至ることだろうと思う。
私が昔、パリを歩いていたらアメリカ人らしき女の子(観光客)がセグウェイみたいなのに乗っていて(結構そういうのが普通。電動キックボードとかも借りられるようになっている)、降りる時にバランスを崩してセグウェイが前の方に滑るようになり、転びそうになるのを傍で見かけた。
それはもう5年近く前のことだが、今でも私はその子のショートパンツにTシャツ、ハイカットのスニーカーが全てクリーム色だったりベージュ、明るい髪の色を束ねてて、長い前髪の一部をたらすようにしてた横顔が焦ってたのを情景記憶してて、その子の顔までは今は自信ないけど翌日見たらわかったと思う。
こう書くと私が観察眼があるかのようだけど、私は昔から友人などと歩いていて芸能人やモデルが前方にいても気づかず、友人に囁かれて初めて認識するようなタイプだった。注意力はない。
それでも、「あ、危ない!」と思って一瞬心配し(運動神経の良さそうな女の子で、大丈夫だった)、注意を払って10秒程度見たのを今でも覚えているのである。いちいち「ショートパンツはベージュだな」とか思いながら見たわけではなく、その情景がそのまま残ってて今も記憶が蘇っただけである。もちろんそれがカメラに撮ったように正確とは言い切れない。しかし人間は何か強く注意を引かれるものがあれば、かなり強烈に情景記憶するものだ、と思う。
だからあの目撃者が八丁峠での職務を終えて車で下っていたところ、
ということがあれば、これは当然かなり注意を引かれて強烈に情景記憶するのも当然である、と思うのである。
翌日夕方、八丁峠に通じる国道の方で2人の女児遺体発見のニュースを聴き、同僚に前日見た不審な車について話している
テレビ報道などでは、目撃から警察の聞き込みまでに10日ほどの時間が経っているのに、そんなに詳細な記憶を保持しているのはおかしい、と思わせるような伝え方をしていることが多い。
しかし、この目撃者は目撃した翌日に職場で仕事中、小1の女児2人の遺体が八丁峠に通じる国道の下の山林で発見されたという、かなり衝撃的なニュースを聴いたのである。
その時点で、その遺体発見現場とは異なるから結びつきはわからないものの、
のである。自分が事件に関係するかもしれない不審者と人物を目撃したかもしれないと思ったら、普通は恐ろしくなって側にいる人に話すものである。そしてテレビの影響でこの目撃情報を疑っている人にはよく知っておいてほしいのだが
ということである。遺体が発見された時点では遺留品は発見されておらず、数キロ離れた地点(目撃者が見たカーブに近い山林)で発見されたのは翌日。つまり両者ともまだ、例の目撃地点が事件に関係するとは知らなかった。
目撃者の方でも、前日に変な車と人物を見たので、あれが関係してたりして…と不気味に思ったものの、数キロ違うのでひとまずは無関係と考えたということである。
しかし大都市でもないところで、こんな凶悪な事件が起こって犯人がわからないとなれば職場で怖いと感じながら話題にするのが普通だし、昨日その現場に通じる八丁峠に行って、その途中で不自然な状況で車と人物を見かけたと同僚が話せば聴き入って、その描写が頭に残るのも普通である。
と証言した。くどいようだが、まだそれが事件に関係するかもわからない時点である。
その後、3月2日になって警官が森林組合の現場に近いところで作業していた職員に聞き込みをしたところ、目撃者の名前が上がり、警官が事情聴取に事務所に向かったというのが経緯である。
その作業員(これは上記の同僚とは別の方である)が名前を挙げるほど、森林組合では既に目撃談が広まっていたということになる。それは普通の流れだと思う。
なぜ警察官が聞き込みに来るまで自ら通報したわけでもないのかと言えば、遺体発見現場と異なり、遺留品発見の地点は報道されていなかった。
そのため、警官に聞かされて初めて、自分が目撃した場所が遺留品発見現場であると知ったのである。
このことをテレビ番組が全然伝えないのは何故だろうか。
車社会の地域の人の車種や特徴の識別/認知力
10秒程度、見ただけで、そんなに車の特徴をとらえるのはおかしい、というのが弁護団の主張である。
しかし私はここにそんなに違和感はないと思う。この目撃者の方もワンボックスカーに乗り、そして東京などと違い、こういう地域では18歳以上の人の多くが車を所有して毎日の通勤通学に使っている。
東京の車好きが趣味で持つのと違って、日々の足として購入するのだから、購入時は各メーカーの同じようなタイプの車を色んな面から比較するはずである。
また、周囲の家族や友人、同僚、近所の人の車を普段からなんとなく見ていたり、新しい車を誰かが買えば話題にしていたりで、ある程度デザインや特徴は頭に入っていることが多いのではないだろうか。
人は自分がある程度知っている分野のものをそれなりに注視したら、元々の知識により、情景記憶を補強する。
というのも、私は端っこの下町だが都内に住んでいて車社会では全然ない。高齢の両親は若い頃から70代まで車を所有して乗っていたが、私は自信がないので都内での運転はできずにいて、旅行で交通量が少ない地域でのみレンタカーすることがある。私の場合は大きい車は車幅感覚が掴めないので、コンパクトカーを選択する。軽でもいいのだけど、あまり値段が変わらないことが多かったので、それならばとコンパクトカーをいつも選んだのである。
先日もウォーキングのため遠くまで歩いていたら、カーシェアの車が置かれているな、とふと注意を払って見たことがあり、2台分のうち1台は出ていたもののもう1台はトヨタのアクアで水色だった。
私はこの車を宮古島で借りたことがあるので一瞬で認識したし、今これを書いている時点で1週間経っているが、今でも知らないマンションの駐車場の一部にとあるレンタカー会社のカーシェアを示すポールと、水色のトヨタのアクアが停まっていたのが情景として頭に浮かんでくる。
なぜちょっと見ただけで情景記憶しているかといえば
だと思う。
私の場合、トヨタだとアクア、日産だとノートかマーチ、ホンダのフィットは自分で乗ったことがあり、すぐにわかる。
乗ったことがなくてもレンタカーを借りるのにサイトで比較する際、トヨタのパッソやマツダのデミオなども出てくるので、どんな車かとサイトでチェックしたりしていたので、ふわっとわかっていたりする。
しかし私はフランスや旅先のイタリアなどでシトロエン、ルノーなどの助手席に乗っていたが、マニュアル車が一般的なところで運転する発想がなかったので、そんなに興味を持って見たこともない。そのためか、全然記憶していない。今、パリのとある通りで店から出てきた男が怒鳴りながら車に乗って急発進していった光景を今思い出していて、薄い茶色のセダンみたいな車だったような記憶はあるが、あまり思い出せない。
元パートナーのお父さんの車なんて、ほぼ毎週乗ってたがルノーということしかわからない。何でルノーと知ってるかと言えば、ルノー日産というわけで、それがらみで株も結構持ってるらしいお父さんがよくその話をしてたからである。それがなければあんなに乗っていたのに「青い車」としか思い出せない気がする。
車でピンとこない人でも、今の時代ならスマホで考えればわかるのではないだろうか。iPhone派は、代々iPhoneを買い替えていることが多いので、Androidスマホを見てもAndroidだな、としかわからないことが多いかもしれない。
でもAndroid派の人(メーカーの国籍を気にしないタイプは特に)は、買い替える時に色々比較して詳しくなるので、他の人のスマホをチラッと見て、無意識にGalaxyだな、Xpediaだな、などと識別するから、「あれ、誰かスマホ忘れてる、Xpediaか、田中さんのかな」とか思ったりするんではないだろうか。
そうじゃなくても、うちの甥は昨年末(当時小学校2年)、私が写真を撮るのにサッと出したiPhoneを見て、私がすぐポケットにしまったのに「新しいの買ったの?」と聞いてきたから驚いた。
何でわかったの?と聞くと、
と言うので、そもそも私の6sのことも何でそんなに覚えているの?と驚いたら、彼は父親から使わなくなったiPhone 6を家でWi-Fi使っての端末として貰っていて、密かに「色違いで同じのだ」と思っていたらしい。
その時は、オババカで「〜ちゃんは本当に観察力あるよねえ!」と喜んで讃えてたのだが、まあ、そこから考えても目撃者の方が自分もワンボックスカーに乗って、日頃から無意識に周囲の同タイプの車と比較していたら、
とかなんとなく知っていたのではないかと思う。いちいち「あ、マツダのボンゴだ」とまでは思わなくても、見たことがあるからダブルタイヤに気づき、情景記憶として残っているのは普通に納得できる。
「トヨタや日産ではない」「ラインはなかった」→別に変じゃない
これが変だという日大教授の主張は聞いてると、なるほど確かに、と思わせられる。
確かに、ないものを「なかった」とわざわざ描写するだろうか?と。一瞬納得させられてしまいそうになったのだが、これも車社会で自分もワンボックスカーを運転する目撃者が各社の同タイプの車にある程度通じていることを考えると、別に変じゃないと感じる。
こんな風に凶悪犯罪の目撃証言をすることは普通あまりないが、我々は日常でちょっとした目撃証言をすることがある。誰かの探し物などがそうだ。
私もそのような言い方をすることがある…と色々考えていて、思い出したのが昔会社で展示会の担当者になっていた時のことである。
各社がブースを持っていて、裏側が物置き場兼着替える場所ともなっていた。一応ドアが付いて鍵がかかるようになっていた。
確か1日目を終えて鍵を閉めて会場の出口に向かっていたら、既に帰ったと思った女性の営業の人が「あ、鍵もう閉めちゃいました?」と携帯を片手に歩いてきたので聞くと、午前だけ来てた人が家からジーンズとスニーカーで来てブースで立つためにスカートとパンプスに履き替えたのだが、午後にそのまま帰った(出社)らしく、ジーパンは持ち帰ったがスニーカーを忘れてきたようだから見てほしいと、その女性に頼んだのである。(2人は同期で友人のようだった)
その時点で私は「スニーカー」としか聞いてなかったけれど
あ、もしかして紺のやつ?ナイキとかアディダスとかじゃない、キャンバス地でラインとかマークが入ってないやつ?
って感じで言った。その時に相手が、「それですそれです(笑)ナイキとかアディダスとかそんないいのじゃないやつ😏」と笑ってたのを覚えている。相手も自分のじゃないけど、「私のあのスニーカーを見てきて」と言われただけで「あれね」と頭に浮かべて認識してたわけである。
私はそのスニーカーをまじまじと見たわけでもなく、ただその日の午後(5時間ほど前)に、裏にカタログを取りに入った時に、ふとそのスニーカーが目に入って、その時点で女性は自分とその営業女子だけしかいないのに、女性もののスニーカーが?と一瞬だけ気になったのである。
そのスニーカーは奥まったところに置かれていたので、その後は目に入ることもなかった。
それであるにもかかわらず、言われれば「ああ!見たかも!」と思い出し、その瞬間雑然と色々置かれたところにあったスニーカーの情景がそのまま浮かび、そんなに考えることなく上のように言ったと思う。
断言するけど、私はそのスニーカーをものの数秒しか見ていなかった。本当に一瞬しか気にならなかったからである。しかしそれだけの特徴をとらえていた。
ナイキとかアディダスとかじゃない、と言ったのは、「スニーカー」から連想されるナイロン地でブランドがわかりやすいマークとかラインが入ってる、ああいう感じのではない、というのを描写するのに瞬時に浮かんだ言い方だった。他にもニューバランスとかプーマとかあるのだが、とりあえず当時自分の中でナイキとアディダスが「定番のスニーカーブランド」だったのである。
日本の車市場においてトヨタが1位で、2位は日産というのはいつの時代も不動で、つまりは持っている人が多い車だから、もしトヨタか日産なら車種までも確信を持って言えたのではないだろうか。
そしてこの目撃者はダブルタイヤということから「マツダのボンゴなのではないか?」と潜在的に感じていたが、
マツダのボンゴならラインがあるがあの車はない
というような引っ掛かりが無自覚にあったのではないかとも思う。そんなに具体的に考えなくとも、普段からの知識で漠然とダブルタイヤだからマツダのボンゴだと思ったが、ラインはないから違うのか、と思っていたからこそ
という発言になっても何らおかしくはないと思う。
また、もし聞き込みにきた警官が「ラインはありましたか」と尋ねた上で「ラインはなかった」と答えたとしても、それって誘導なのだろうか?
当時のカタログを色々見ているとラインが入っている車種も多いので、この質問は妥当ではないかと思われる。
もし警官が誘導したのなら、なぜ肝腎の人物にそれがなく、面通しも失敗したのか?
そして私が、この目撃者の方が、本当に素直に情景記憶のままに目撃証言したのだろうと確信できる理由が
というところである。
もし警官が誘導させたいならば、なぜ車の特徴だけで、人物描写に関しては誘導させないのか?
三叉路での目撃証言では1人の女性が「ボンゴは男性が運転していた」と言っているが、この女性は特別注意を払っていなかったので、もちろんその詳細は記憶していない。他の目撃者も後方から見ていてフィルムが貼ってあったというのもあり、誰も運転手をしっかり見ていないから、車の外に出ていたというはっきり人物を認識できる状況にあった目撃者はこの八丁峠の目撃者だけである。
ちなみに車を運転しながら60m手前から通り過ぎるまで10秒ほど眺めた場合、人物に対する情景記憶が車よりもはるかに劣るのは極めて自然であると私は思う。
普通に考えて、車、特にワンボックスカーのような大きな車体と人間では大きさが全く違う。
年齢に関しては間違える方が自然だと私は思う。前から若い女性が歩いてきたと思ったら、すれ違う際によく見たらおばさんだった、ってことはよくある。しかもこの目撃者の年齢層がはっきりしないが、自分より年上の人の年齢はよくわからないことも多いのではないだろうか?
私も昔、30代終盤くらいだろうと思ってた人が実は48歳だと知って唖然としたことがある。ちなみにちょっと関係ないが、私はパリにいた時にものすごく若く見られて「もう40だよ…」と言って唖然とされたことも結構ある(笑)←単に東アジア人は皆等しく若く見られるので自慢ではないです、はい。
ともかく、こんな風によく顔を見て話してる相手の年齢さえわからないものなのだから、車が近づく前につんのめって転んで自分に顔を見せないように下を向いていたというのならば、間違えて当然である。
年齢は服装の感じから無意識に判断したのではないかと思うが、カッターシャツ(これはワイシャツの西日本語らしい)にチョッキというのも、2月という冬にしてはかなり軽装なので印象に残ったということである。
また被告(当時)は十円禿げなどがあったが、目撃者が語ったように前頭部が禿げているわけではなかった。目撃した人物はつんのめるようにして転び、顔を伏せたので目撃者が一瞬見たのは頭頂部の十円禿げで、禿げの印象が瞬間的に残って情景記憶に補正が入った(前頭部が禿げていた)のではないかと思う。
上に書いたように車に対する知識があり、人物よりずっと大きい車体に注意がいってれば、同時に同程度に観察することは難しいし、そもそも大量生産品で知識があれば正確な特徴をとらえられる車と違って見知らぬ人間を瞬時に把握するのは難しい。
それにしても、警察はこの目撃者を車に乗せ、車から被告を指差し、目撃したのはあの人物かという面通しをしている。
当時は逮捕もできないでいたし、車から人を目撃したという条件に近い面通しだったと思うが
これも警察が誘導を企んだのであれば、面通しをさせる前に巧みに被告の容貌を刷り込んだり、わからないといっても、少しでも似てるところはないかと食い下がったりするのではないだろうか?
しかし、警察はこの「わからない」という証言を改竄してもいないし、面通しも1回で諦めている。
この点からも、私には目撃証言に警察の誘導があったとは思えないのである。
いずれにせよ、不審な車と人物を山道で見かけて無意識に情景記憶し、翌日子供の死体が発見されるという恐ろしいニュースに記憶が蘇り、警察の聞き込みに素直にその記憶を語っただけの目撃者が、30年経つ今も弁護団の策略のままにテレビで語られ、ネット上でも非難されているのはお気の毒というしかない。
この記事が目撃者の方の名誉回復に少しでも役立つことを祈るばかりである。
この事件についてはしばらくも書き続けるかも、しれない。


こういうkindle本を出してます。unlimited対象
コメント
森林組合の仕事の内容から車の特徴を指摘できたのは一般のドライバーと違い当然です。不法投棄ひとつとっても、車の情報が重要です。山の中で車がぽつんと駐車していれば仕事柄記憶に努めようとするでしょう。私も地域のクリーン活動、とりわけ犬フンの撲滅活動をしていました。したがって、現場で遭遇する飼い主の特徴や犬の特色は記憶にとどめようとする無意識の力が働きます。なぜ弁護士たちは一般人化しようとするのでしょうか?もちろん、公園に手ぶらで来る人は対象ではありません。
承認遅くなり申し訳ありません。
そうですね、この峠の森林が管轄の組合職員である目撃者の方にとって、いつも走行する車とさえすれ違わない道で、カーブに停車している車は当たり前に気になるものですよね。
その程度に注意を払い、見た車の記憶として何ら不自然なところはないと思います。
八丁峠での目撃は徐々に変わって来たようですね。
警察官は(氏名も弁護側が明記しています)久間さん宅を訪問し、ラインのないこと、自動車の商品名、自動車のグレードを確認してからの目撃証言だったようで、「車の特徴として9項目、不審人物の特徴として8項目」の指摘があったそうですよ。警察官が盗撮していれば面通しも通ったのに。
最初「トヨタ日産ではない」といったもの、「ラインはない」といったもの、ラインはあれば明確ですが、無いと言った。などなど、それほど自動車の商品設定に詳しくない人を詳しいと誤解させて証言を採用していますね。そしてこの頃はまだいろいろな文章が警察内部で書き換えが行われていました。
ある公安委員会の「交通反則通告所」では、「是正といって、違反切符の中身は署名を含めて書き換えの対象です」という証言をいただいたことがあります。警察官2人の同意があればいいそうですよ。
交通違反の切符は裁判になれば証拠として提出されますよね?
あなたは私の関連動画を見ていないか、見ても内容を理解できていません。