私は別にこの事件を担当した警察や検察、裁判官やら目撃者やらに関係するわけではない。
そして私のTwitter見てもらうとわかってもらえると思うが、基本的には権力を疑い、批判してる側の人間である。
私自身も、この事件を取り上げるテレビ番組を見た時には
と義憤に駆られ、それで調べ出したのである。
ちなみに私は和歌山カレー事件も冤罪の「可能性がある」と思っているし、懲役の量刑の事件も含めれば恵庭OL殺人事件も「受刑者は状況証拠がありすぎて関わりないとは思えないけど別に主犯がいた可能性があった」と思っていて、何がなんでも印象だけで怪しいと決めつけるタイプではないつもりだ。
「疑わしきは被告人の利益に」は確かに法治国家の原則であるとも思っている。
だから私は、この飯塚事件は死刑執行されてしまった久間が犯人だった、と判決文を読みまくった今は考えているけれど、それでも実証されたものは状況証拠のみであり、執行されるべきではなかった、と思っている。
むしろ新たな証拠が採取(技術の進歩により)はできなかったか?と考える。
この事件が別に精度の低いDNA型鑑定や目撃証言のみで判断されたものではないことは最初の記事でがっつり触れた。
今回は、そういった裁判上での議論のレベルではなくて、「〜だから怪しい」というレベルのことを書く。
なぜなら冤罪派の方でそういうレベルのことを色々書いてる人がいるからである。
あくまで「これは単なる私の個人的な印象の話」であることは念頭において欲しい。
何しろ念入りに水洗いした車両シートから出た血痕と被害女児のDNA型が一致してしまっている
これだけでもう、正直冤罪の可能性が感じられなくなった。この鑑定の信頼性は高い。
この事件は「DNA型鑑定の精度が足利事件と同じで低い」というところから冤罪、冤罪、と言われているので、既に最初の記事でガッツリその件に関しては書いているのだが、それは
であり、被害女児のDNA型鑑定の話ではない。
被告が当該車両を中古車屋に売却した時に
であった。それこそMCT-118型での鑑定が不可能だったのである。
しかし後になって、シートの中のスポンジの接触側に残っていた血痕から
したのである。このTH01型の精度に関しては弁護団もケチをつけていない。代わりに「後から血痕があったと言い出すとは怪しい、捏造だ」と言ってるのだが、これは被害女児の衣服から発見された繊維と車両シートの繊維鑑定を依頼していた東レに預けていたものであり、
のだから、弁護団がいうような警察の捏造であることは非常に考えにくい。
ただ、車両のシートから被害女児1人の血痕が出たというのは強い情況証拠、間接証拠でしかないんである。というのも被害者の遺体から発見された犯人のDNA、というのとは異なり、女児がその車両に乗ったことがある、そして流血もした、ということまでしか証明できないからである。殺害時に流した血なのかまでは決定的な証拠とは言えない。
でも、ここまできちんと読んだ皆さんのほとんどは、普通にこれは冤罪ではないと思うのではないだろうか?私もそうである。テレビやジャーナリストは警察の捏造であるかのように伝え、東レ証言のことは触れないのだが。
そんなに陰茎から出血するという症状はよくあることなのだろうか?
結局、被害女児の膣内、及び周辺を拭った綿花から採取された被害女児の血液に混じって確認された犯人の血液のDNA型鑑定は精度が低く、決定的な証拠となり得なかったのは最初の記事で書いた通りである。(1999年の地裁の判決文で明確に証拠として不十分である旨が書かれているのに、あたかも足利事件のようにそれのみを根拠として有罪となったと喧伝されているのである)
この事件の特徴の一つは
ということである。
被害女児の処女膜は断裂しており、陰茎が入れられたことは推認できる。にもかかわらず精液が一切見つからないというのは特異なケースであると思う。
これは性的に詳細な描写となるためなのか、テレビ番組では触れられていない。
私は女性なのでそういう出血する症状が男性にどれほどあるものなのかよくわからないのだが、少なくとも一般的な症状ではないらしい。
仮に一定の割合の人がかかるものなのだとしても、それが事件当日にも罹患しているとなると多くはないだろうと思う。
そして被告は亀頭包皮炎という症状で事件の3ヶ月前に受診しているという医師の証言はあるし、強い皮膚病用の薬を何度も買い求めているという薬局の証言もあり、
のである。自分がこういう性犯罪の末の殺害をしない理由として語っていた。
しかし被害者の局部から被害者の血液に混じった犯人の血液も発見されたと告げられてから一転、「もう完治していた」と供述を変えたのである。
私は男性ではないのでわかりづらいが、普通に考えて痛ければ精液が出ることもなく、女児たちが陵辱されているのに精液が見つからないという特異な状況の説明になるのかな、と思う。そしてその代わりに血液なのである。
もちろん当時略取地点にアクセスできる人間の中でこういう症状を持つ人は1人ではないかもしれないからMCA-118型のDNA型鑑定の結果と同じく確定要素にはなりえないが…(だから、怪しい、レベルの話)。
小1の女児を2人も同時に連れ去ることができるのは「知らない人」ではありえないこと
私はこの女児たちよりだいぶ年上なのだが(昭和終盤の小学生!)、私の時代でも子供はかなり誘拐犯というものを意識して「知らない人」を警戒していたと思う。
今でも覚えているのだが、一年生の時に子供同士で子供の足で徒歩15分ほどのところの公園にお弁当を持って出かけた(ここらへんは昭和だな…)時に、芝生で食べていたら側でやはりお弁当を食べていた人たちが飴をくれようとした。
それでも私も友人も頑なに断った。その人たちは苦笑しながらも「えらいね、知らない人には注意しなきゃね」と言ってたのを覚えている。
Twitterで、「親が病院に運ばれた、とでも言って車に乗せたんじゃないか」と書いてた人がいるが、それでは1人ならともかく、別々の家の子供2人を同時に乗せることはできない。2人は姉妹でもないし従姉妹でもなかった。よその家の親や家族が病院だからといって一緒になって学校を休んで行くのは不自然だ。
それなりに車通りがあったところで、子供たちが連れ去られる瞬間を目撃されていないのだから、これは声をかけられて2人が素直に乗り込んだという状況しか考えられない。とすると、
だったということになる。
そして久間は、仕事をしていないので我が子だけではなく子供達の遊びに参加したり、家の前にザリガニを置いて子供たちの気をひいたりする、近隣の子供たちにとって親しみある存在だったらしい。
そこを考えると、私も昔、そういう「〜ちゃんのおじさん」っていたな、と思い出した。仕事はされてたが、自営業なので家の横を作業場にされていて、時々自分の娘と一緒によその子も入れて遊んでくれたのだ。よく家の前でめんことかの懐かしい遊びをさせてくれたり、たまに家の中に入れてくれて人生ゲームなんかもしていたと思う。そのおじさんは全くのいい人だから(多分…)、なぞらえるのは申し訳ないのだが、もしあのおじさんが「乗ってくか」と車から声をかけてきたら普通に乗ってしまっただろう。
もちろん子供たちにとって、久間だけがそういう存在だったわけではないかもしれないが、小1の子供の顔見知りの範囲などたかが知れているから一応警察も「2人が警戒しない相手」というのはあたっていると思うのである。
他に弁護団が「新たな目撃証言」として出している「白い車を運転していた云々」の人相の男が具体的に誰とも出ないのだとしたら、それは見知らぬ相手ということになる。小1が密かに親も他の友人も把握しないよその土地の知り合いができていたとは考えにくい。
繰り返すが、小1の子が2人揃って見知らぬ人間の車に乗り込むことは考えにくいと思う。まして1人の子はご両親が教員だし、普段から警戒心は持たされていたのではないかと推測する。
だと思う。おそらくかなり短時間に、犯人が運転席に座ったままの状態で女児たちが後ろのドアから乗り込んだ状況だったと推測されるのだ。
とはいっても、これも「久間が犯人でありえる」ということに過ぎないので、もちろん特定できるほどではない(他にもそういう子供たちが信頼してしまった人がいたのかもしれないから)。
それにしてもこの事件は判決文を読んでいると、ほとんど間違いはない、と思えるのだけど情況証拠に過ぎないので100%の確信が持てないというのはスッキリしないところではある。たとえわずかな可能性でも冤罪の疑いがあれば、やはり執行は保留にし、更に証拠を発見すべきであった。
この事件、カテゴリーにしてもっと続けるかも…
ちなみに筆者はこのようなkindle本を出してます
コメント
「何しろ念入りに水洗いした車両シートから出た血痕と被害女児のDNA型が一致してしまっている」
ところが、大量の尿痕が出てきました。血液を?シートを取り外して洗う人が、大量の尿痕に気が付かなかった?遺体を運び出すときに遺体から滴ったはずの尿に気が付かなかった?発見されたフロアマットはシートよりも外しにくい?
「そんなに陰茎から出血するという症状はよくあることなのだろうか?」
糖尿病性のものらしいですね。そして商品名をたどると軟膏で、副腎皮質ホルモン製剤。軟膏はちょっと洗ったくらいでは完全に取れません。ホルモン剤という鑑別しやすい物質を検出試験しなかったのは、なぜでしょうか?
なお、女児の処女膜は指による損傷という鑑定がありますね。
「小1の女児を2人も同時に連れ去ることができるのは「知らない人」ではありえないこと」
これについては、小さな交通事故を装えば出来ます。他にもあるでしょうね。「病院に行くから、付き添って」なんて言い回しは、女性の方がとっさに出来ると思いますよ。
冤罪かもしれない派と討論はしないのですか?
的外れですね。
さんざんしたやり取りからして、改めてこういう質問をするのは、あなたがこの事件が冤罪であってほしいという執着のあまり、思考がおかしくなっているだけです。
尿があり、血痕があるから彼は水洗いしたんですよね。彼のような、特別知識が深いわけでもない人は、ネットもない時代では洗えば痕が消えると考えたのだと思いますよ。
私は昭和50年代の生まれで、女児たちより年上ですが、私が小学生の頃で既に、「知らない人が、親が病院に運ばれた、私はお母さんの会社の人だ、などと言って車に乗せようとする」ことは常識でした。
幼稚園、学校で子供自身も教育され、また親も学校に促されて徹底注意しています。しかも子供同士でもその話をしていました。
現代ではそれに加えて「知らない人に挨拶してはいけない」が加わっている地域が多いです。
被害の子の一人は両親とも小学校教諭で、普段からしっかりしており、もう一人の子がおとなしいので引っ張っていってあげるような役割があったそうです。
あなたはお子さんがいらっしゃるということですが、以前からあまりリアリティを感じません。
当方バツイチですが元妻は膣口が狭く
そのせいか私の亀頭の付け根のあたりの皮には、慢性的に切れ癖があって、血が滲むことは日常茶飯事でしたよ。
傷自体は性欲に影響することはなかったのですが、性行為時には痛みました。
当時はゴムを使用するなどして、少しでも痛みを感じないようしてました。
勃起時は傷も広がりやすく、まだ体も小さく濡れていない状態に挿入したとしたら
痛みで、射精までいたらなかったのも、わかる気がします。
あと尿跡の件ですが
シートの表面を水洗いしても、中のスポンジの部分まで綺麗に洗うことは、まず不可能だと思います。
大量の水を使い、染み込ませては絞っての工程を相当繰り返さないとスポンジの汚れは取れません。
車のシートとなると、その作業自体素人では無理です。
普通にタオルに醤油をこぼして
片方だけに水や洗剤をつけて擦って乾燥させたところで裏面までとれないですもんね。