ちょっと書き始めたら、7まで書いてしまった。今回は考察というより、考察することへの個人的な考えを述べておこうと思い立って書いている。
締めくくりではなく、まだまだDNA型鑑定について足利事件との大きな相違点などを書いていきたいことは残っている。
この事件は1992年に福岡県飯塚市で起きた、小2女児2名の殺害事件で、後に犯人とされる人物に死刑判決が出て2008年に執行されているが、自白をしないままだったので弁護団が「冤罪」の姿勢を今なお崩さず再審請求などをしている。
私も当初は初期のDNA型鑑定により判決が出たのかと、弁護団の主張通りのテレビ報道に引っ張られて感じてしまい、そうなると調べずにはいられないタチなので判決文を読み込んだ。
その結果、弁護団はそれが仕事なのだから当然として、マスコミのひどい印象操作に愕然とし、そこでこんな個人ブログじゃ何の影響力もないが、少しでも検索で見かけた人が公正な目で見直せる一助になればと書き始めた。
繰り返し「足利事件と同じDNA型鑑定で有罪になった」と言うことの嘘
過去のテレビ番組で弁護士が支援の会などでマイクを持って、こう言い切っているのを何度も見た。
これは明らかに偽りである。
判決におけるDNA型鑑定の取り扱い(確たる証拠としていない)
被害女児の体から見つかった犯人の血液のDNA型鑑定は、
(中略)
以上のとおりであるから、坂井・笠井鑑定によって犯人のHLADQα型を特定することはできない。
と、このように判決文では疑問を呈されていて、確たる証拠とはしていないのである。
今度、足利事件との比較を書いていこうと思っているが、MCT-118型鑑定については、両事件では明らかに取り扱いが異なっている。
それにもかかわらず、捜査の一貫で同じ鑑定が行われた、ということで足利事件と同じミスが起こっている、ということになっている。
確かに初期のDNA型鑑定は精度が低く、そこで一致しても証拠とはなり得なかった。だから飯塚事件においては地裁で上記の通り、確たる証拠とはしていない。
そもそも足利事件では試料が精液であり、飯塚事件では女児の血液に混じった犯人の血液、なのであるから鑑定方法が同じでも同じ鑑定はそもそも不可能で、検察自体が懐疑的で逮捕にも至らなかったくらいなのである(それについては後日書く)。
O.J.シンプソン事件を覚えているか
O.J.シンプソン事件とは、1994年に著名なアメフト選手だったO.J.シンプソンの元妻と、その晩一緒にいた知人男性が無惨に刺殺された事件である。
容疑者となったシンプソンがロサンゼルスの高速で警官から逃れようとカーチェイスを繰り広げるなどして日本でも当時はかなり話題になった。
結局彼は無罪を勝ち取ったのだが、多分あの事件を当時見ていた日本人なら、彼が明らかに犯人だということはわかっていたと思う。(後年、諦めきれない遺族が民事裁判を起こしてシンプソンは2人の死に責任があると認定された)
これは彼の弁護団、通称「ドリームチーム」が
という印象を抱かせるのに成功し、陪審員も黒人が多かった為に無罪を勝ち取ったようなものである。
被害者の元妻も知人男性も白人であった。
確かにアメリカには近年もBlack lives matter運動が湧き起こったように、今なお黒人に対する不当な扱い、偏見が存在しており、20世紀後半になっても冤罪は多く起こっていた。
そのことに対する黒人の不満は慢性的に存在していたのは当然のことである。
それを「ドリームチーム」はまんまと利用した。1人の刑事が「ニガー」という言葉を使い、差別的なことを言っているのがテープに取られ、公開された。
そのため、
という印象を作るのに成功したのである。そのため、DNA型鑑定を含むすべての警察が提出した証拠が「捏造」と弁護団が主張すれば、それがもっともらしく聞こえるようになっていった。
例えば、現場に被害者以外の血液が残されており、そのDNA型鑑定でシンプソンと一致したものの、シンプソンから8ccの血液を採取したはずが鑑識の際には6ccに減っていたから現場に撒かれたのだ、という主張となった。
これに関しては、警察の手順に落ち度があり、シンプソンの血液を早期に採取していた、ということを弁護士に攻撃ポイントとして取られたという感じである。
そうしてO.J.シンプソンは無罪を勝ち取ったが、後には民事で敗訴し、少なくとも元妻の知人男性の殺人は認められた(ということは当然元妻のことも殺している)。事件前の裕福な生活から一転、困窮した彼は”If I did it (もし自分がやってたなら)”という本を出版しようとしていた(被害者遺族が許さず頓挫した)。要するにもう罪に問われることがないのをいいことに、ほぼ認めたのである。
しかし彼は民事で負けるまでは一貫して、「自分は絶対にやっていない」と主張していたし、その後も元妻との間にもうけた子供への面子もあって無実だと言っていた。もう刑事裁判で問われることはないにもかかわらずである。元妻の家族は以前からの言動からして彼が犯人だと確信していたが、彼自身の家族は少なくとも公的には彼の無実を信じている、という様子だった。
しかし最終的には生活に困って、意味ありげに認めるような素振りをするなどしてメディアの露出で生活費を稼ぐようになったのである。
そのように国は違えど、
ものなのである。これは弁護士の仕事なのだから仕方がないと思う。弁護士は正義の味方なのではなく、あくまで依頼人の味方なのだから。
私は10代にして、この事件を通して弁護士というものはスポーツの試合のように相手の隙やミスをついて無理やりポイントを稼いで勝ちを取るのだと理解した。陪審員制度のアメリカならではかと思ったが(まだ日本の裁判員制度は未導入)、日本でも弁護士は検察の提示する証拠に対し、とにかく隙を探して指摘する。裁判官の方も心の中では「そんなわけねーだろ」と思っていても、それを法律的に合理的に否定できなければ「そんなわけありませんので、認めません」というわけにはいかない。そのようにして「〜ということが全くあり得ないわけではないので」とか言わなくてはならないのである。
O.J.シンプソン事件の場合は「レイシストの白人捜査官が黒人であるシンプソンを最初から犯人と決めつけて捜査していた」という点で、それまでのアメリカに数限りなく存在していた人種差別による冤罪の事例に結び付けられたのだが、飯塚事件の場合は「捜査の一貫でMCT-118型DNA型鑑定が行われた」という点で足利事件に結び付けられ、こちらも冤罪であるはずだ、という印象が作り出されているのである。
目撃者は五人いることに触れないテレビ番組
この事件を扱うテレビ番組は、いつも八丁峠の目撃証言が詳細すぎておかしい、という弁護団の主張を取り上げている。
それについての私の考えは既に述べているのだが
目撃証言は八丁峠だけではなく、被害女児たちが連れ去られたと見られる小学校に通じる三叉路付近で「マツダのボンゴ」がその時間に目撃されているのである。
女児たちは、その日「たまたま」1人の子の体調不良にもう1人の子が付き合うような形で遅れながら歩いていた。
その三叉路付近に行くまでも各地点で近所の顔見知りの人に目撃されている。他の児童がもうとっくに通り過ぎた遅刻の時間帯に歩いているので、「おや」と思われながら見られていたのである。その目撃された地点と時間からして、三叉路付近に到達したのは8時30分前後ということになる。
三叉路より少し先にある農協勤めの女性Dさんも、そういうことから2人が三叉路手前のところを歩いているのを見ながら運転して通り過ぎた。農協に着いたのが8時30分過ぎごろだから子供たちを見たのも30分ごろということになる。遅刻の時間だなと思いながら見たそうである。
そのDさんの同僚のVさんはDさんと同じ道を通り、出社した。大体3分後くらいである。なぜならDさんが職場の駐車場について、まだ降車もせずに助手席の化粧品を片付けているころにVさんが入ってきたからということだ。そしてVさんは子供たちを見ていない。もし子供たちが学校にそのまま向かっていたら、通りの狭さと時間帯的に目立つことから見落としはありえない。つまり3分の間に子供たちは通りを運転する人からは見えなくなっていたことになる。
さらに、その地点近くでユニック車(クレーン車のようなものらしい)を借りに行った従兄弟二人組がいた。Xさんの従兄弟が知人のWさんに8時30分に借りに行くと約束していて、2台の車をそれぞれ運転して、三叉路付近に駐車した。車から降りて、歩いて三叉路を横切ろうとしたところ、車が自分の体スレスレに走り去っていき、轢かれるところだったと驚いて見たらマツダのワンボックスタイプ、通称ボンゴ車で、マツダ独特の青みがかった黒っぽい色、リアウインドー(バックドアのガラス)には黒っぽいフィルムが貼ってあった。
4人目の目撃者は、従兄弟二人組にユニック車を貸す約束をしていて、三叉路付近で造園作業をしていたWさんである。彼は上記のXさんが「轢かれそうになった」というので咄嗟に目をやると、マツダのワンボックスタイプ(ボンゴ)で、色はマツダ独特の濃紺色、サイドモールがあり、後輪ダブルタイヤだった。また、サイドウインドーにはマツダ純正と思われるベージュの色あせたカーテンがついており、リアウインドー(バックドアのガラス)は黒っぽかったのでフィルムが貼ってあると思った、というのである。
男性2人は「轢かれそうになった歩行者」「待ち合わせの知人(正確には従兄弟の方と知り合い)が轢かれそうになった、というので咄嗟に見た」ということで、特別な注意を払って見たのだが、かなり詳細な目撃談である。
ここからしても、
ということがわかる。ダブルタイヤというのは当時のマツダのボンゴの特徴だったため、そこからしても知識的に記憶を補完する典型なのではないかと思う。
しかしこの「三叉路での目撃者4人」について詳しく触れるテレビ番組はあまりないという。
いつも八丁峠の目撃者がクローズアップされ、まるでそれが元死刑囚を割り出したかのように扱われている。
しかし、狭い道であるにもかかわらず周辺に農協だけではなく信金などもあって店舗も点在している三叉路あたりは車通りも多く、当初から目撃証言があることが期待されて警察も積極的に聞き込みしていたとされる。
引き換え、八丁峠の方はこの時期の車通りが殆どなく、目撃があるとは期待されてなかった為に、3月2日(事件後10日ほど経っている)まで聞き込みがなかったのではないだろうか。何しろ峠なので民家や店があるわけでもなく、人もいないし定期的に通う人もいないのだから聞き込みしようがなかったと思われる。
遺体発見現場は報道されたが、この遺留品発見現場(遺体発見の翌日)は当初は非公表で、そのためここの目撃者のTさんは女児殺害のニュースを聴いた時から職場でこの不審な車と人物の話をしていたが、本気で事件に関係あるとは思わないでいた。遺体発見現場から数キロ離れていたからである。
しかし3月2日に、この遺留品発見現場の付近で作業する、Tさんと同じ森林組合の人が現れたので聞き込みをしたところ「職場で、このあたりで不審な車を見かけたと言っている人がいる」ということでTさんへの聞き込みに至ったのである。しかも初回の聞き込みではTさんは、まだ遺留品発見現場であることを知らされなかった。そもそもただの聞き込みではTさんも名もなき地点を口頭で伝えることはできない。後日警官と行ってみて、形状など記憶をたどりながら示したカーブが、遺留品が投げ捨てられたであろう地点に近いところだったのである。
おそらくその時の聞き込みと、三叉路での目撃とで「紺のボンゴ」が確定的に絞られたと思われる。
それなのに、あたかもTさんの目撃証言だけで元死刑囚の車と特定されたかのように言われているのだ。
状況証拠のみの執行は疑問。でも冤罪の可能性が低いのに「高い」というのはどうなのか
私が非常に疑問に感じるのはここである。なぜかこの事件、しきりに
と言われている。しかし地裁と高裁の判決文を読めば、上に書いたようにDNA型鑑定の結果は判決に際して重要証拠とはされておらず、わかりやすい言い方をすれば
ということで有罪になったと言える。
つまり、被害女児2人の衣服から100本以上見つかった繊維が、被告の車のシート(昭和57年3月26日から昭和58年9月28日までに製造されたマツダのボンゴの上位車種であるウエストコーストの座席シートにだけ使用)と同一のものであったり、
被害女児2人とも膣が裂傷しており、陵辱されているのに精液は発見されず何故か血液が発見されたところ、被告は亀頭包皮炎を患っていて、摩擦により陰茎からの出血がままある症状であること、性行為で痛みのため射精にいたらないことがある症状でもあること。
ちなみに被告は当初、この症状を盛んに言い、自分が犯人でないことの理由としていた(性行為などしたくないから、と)。しかし後に血液が発見されていると知ると、一転して「事件の時には完治していた」と主張するが、薬局でのフルコートFの購入履歴から疑わしい。
被害女児達が殺害時に相当量の排尿をしていることがわかっているところ、被告の車のシートから相当量の尿痕が認められ、初期の取り調べでは被告も被告の家族も説明できなかった(後に母親のおかわの世話をした、と供述するようになる)、ということもあり、
被告がシートを念入りに水洗いしてほぼ分解してしまった血痕だが、後にTH01という新たな鑑定方法でDNA型を調べたところ、被害女児のうち鼻血を出している子と一致したことだったり、(ただしこれは鑑定が可能になったのが数年後だったので地裁では提出されていない。高裁にて加わる)
1人じゃなくて3人が目撃している(農協の女性2人は色などまで言っていないので一応除外)「紺色のワンボックス、ダブルタイヤ」という車の持ち主のうち「後方の窓にフィルム」は被告の車だけであり、さらに他の車の持ち主は当日仕事などでアリバイがあったが被告にはなかったり
アリバイに関しても供述が二転三転したが、被害女児達は自分の息子と同じ学校の子供達であり、事件当日の早い段階から騒ぎになっており、児童の親として、その日の記憶がないというのはおかしいと考えられること(普通は女の子達を見かけなかったか自分の走行ルートなどを思い返して考えたりする)、
1年生とはいえ小学生が易々と見知らぬ人の誘いに乗ることは考えにくい、もし無理に車に押し込められてたら近くで造園作業をしていたWさんなどに気づかれないのは考えにくいが、被告と被害女児達は顔見知りであり、警戒せずに乗ってしまってもおかしくないこと。(また判決文に書かれていたわけではないが、フィルムが貼られていない車に普通に乗せられていたら、その車内の姿を三叉路で農協のVさんや、他の人に全く目撃されていないのはありえないと感じる。)
など色々ありすぎての判断である。
ちなみに被告は精神鑑定を受け(これは弁護団の要請だった)、性格異常でこのような犯行に及んでもおかしくないという結果が出ているが、これは証拠に採用されていない。
疑わしきは罰せず、の観点からの批判はわかる。しかし事実を捻じ曲げるのは許せない
すべて情況証拠であるとは思う。一つ一つが決定的ではない。高裁で採用された証拠の一つの「シートから検出された血痕のDNA型が被害女児の1人と一致」も、それは殺害時のものかまでは断定できないので、確かな物証ではないのである。
そのため、私も情況証拠のみでの死刑執行は適切ではなかった、と思っている。
否認したまま執行、というのは、いくら「99.9%そうだな」と思っていても何かしこりを感じるのは私もそうである。
文系の私には想像もつかないけどこういう技術は鑑定人も予測がつかないほど発展するというので、そこに期待したかった。実際、1990年代初頭からは考えられないくらいDNA型鑑定の技術も進んだ。被害女児の血液からより分けた犯人の血液が幾度かの鑑定により残りがなくなってしまったのは仕方がないのだが一度使った試料がより精度の高い鑑定方法で使えるようになる日もあったかもしれない。
そういう意味で非常に残念ではある。
しかし、
と強い憤りを感じて、このシリーズを書いている。
もちろん、元死刑囚の家族には何の罪もなく、むしろ被害者であると思うし、信じたい気持ちも理解はできるから、再審請求するのは権利でもあると思う。
しかし、それに関して先日のNHK BSを含めてテレビ番組が
と私は言いたいのである。
どのテレビ番組も弁護士の主張通りに編成し、まるで権力の不正に闘いを挑んでいるかのようである。
殺された子供達があまりにも可哀想なのはもちろん、そのご遺族のことを考えると、とんでもない話だと思う。
足利事件においてMCT-118型のDNA型鑑定が過大評価されたのは事実だが、飯塚事件においては異なる。目撃者は1人でもなく、八丁峠の目撃者1人で車が絞り込まれたわけでもない。
他に重視された証拠をテレビ番組は殆ど紹介せず、あたかもその二つだけで死刑判決が下ったかのように言い、「冤罪の可能性が高い」などと認識を誘導するのはジャーナリストの姿勢として全く理解し難いものだと感じる。
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