飯塚事件に関する動画をとりあえず9本作った。
チャンネルや動画をシェアしてくださった方もいて、急に登録者数が増えて1,000人を超えた。本当にありがたい話である。ありがとうございます。
1本目は概要なのだけれど、あとの8本は各証拠をガッツリ解説していく…という内容だったので、それらを理解したり整理したりする行程には大変なところもあったのだけど、方針ははっきりしていたので、そういう意味では作りやすかった。
というのも、飯塚事件は
という情報操作、印象操作があまりにもひどく、そこに頭にきたため、きちんと各証拠を説明して、このケースがまっとうに審理されたものであることを伝えていきたい、というのが動機だった。
私を駆り立てたのは、そもそも日本のテレビというものに日頃からそういう意味で不信感を抱いていて、公正さのかけらもないので、いよいよこうした情報操作で視聴者を扇動しようというところまできていると感じて危機感を覚えたからである。
私は以前にも書いたけど、死刑制度に関しては消極的ながら廃止を支持してる方で、釈放なしの終身懲役刑を導入しても良いと思っている。無期懲役だと、いつか出られるかもしれないという希望があるので、希望のない人生を送ってほしい。自分がしたことを自覚させてとてつもない後悔を抱えて生きてほしいのだ。
だから、彼らが死刑廃止活動をするならば、普通にそれは支持するかもしれないが、だからといってこのような情報操作がテレビ番組という影響力のあるメディアで行われてはならない。断じてならない。
そうした情報操作で人を扇動することは絶対に許されてはならない。
テレビ局は人を扇動するというよりは、「警察や検察の陰謀で無実の人が陥れられ、死刑執行された」という一種の都市伝説で視聴者の正義感に似た好奇心を満たそうという狙いだと思う。
しかし、それは昼夜を問わず地道に捜査した警察官、慎重な対応をした検察、あの綿密な審理をした判事、そして目撃証言者を侮辱し、視聴者からの不当な誹りを引き起こしているのである。
先日のテレビ番組でもやはり、八丁峠の目撃者の家にまで押しかけて、取材を断られているのを、あたかも目撃者が逃げているかのような見せ方で放送していた。
私はこの目撃者の方を知らないが、他人ながら本当に腹が立つ。私の動画のコメントにも「冤罪かは分からないけど、この目撃者はメディアの前で説明すべき」という内容のものがあった。
なぜ、この方が突然来た不躾な取材に対応しなければならないのだろう。そんな義理は全くない。
さんざん、「いいかげんな証言をして無実の人を死刑に追いやった」かのような言われ方をして、自分の証言がおかしな切り取られ方をしてきたのに、その相手の手に乗ってうかうかと応対など、誰がしたいだろうかと思う。図々しいにも程があるのではないだろうか。
私はそういった番組報道の不当なやり方に抗議の意味でチャンネルを始めたので、色々他の事件のリクエストもあるのだけど、おそらく比較、みたいな感じで作っていくことになるかな…と思っている。
例えば、和歌山カレー事件も、冤罪の向きで伝えられるようになって、YouTubeでもそういった動画に溢れてきているのだけど、やはり一部に近所の人だったり目撃者への攻撃的な意見が見られるので、扱いたいかなあ、とは思っている。
しかし、やはり林死刑囚が入れたのではないか?とは感じるのだけど、飯塚事件みたいに確信は持てない。
なぜなら飯塚事件は、被害女児たちを当日に自分の車に乗せた人物は犯人である。だから各証拠から確信できる。
でも和歌山カレー事件は…カレー鍋にヒ素を入れた人物が犯人だけど、林死刑囚がその行為に本当に至ったかまでは…立証しきれていないかもしれない、と思った。
これはざっと読んだ限りなので、もっと読み込んでいきたいけれども。
コメント
主様こんにちは、先日コメントさせて頂いた者です
例のテレビ番組、youtube上の予告編もオフィシャルでの動画も軒並み消えましたね
huluでの配信も中止になったようです
最近youtubeでの飯塚事件のコメントも冤罪説に疑問を持つ人が増えてきているようです
主様達の地道な活動が実を結びつつあるようで何よりです
八丁峠での目撃者の方に対する嫌がらせ、本当に許しがたいです
ただでさえ彼らの無責任な報道のせいであらぬ風評被害を被っていると言うのに
どこまで傷つけるつもりなのか
後、和歌山のカレー事件などに比べると現地の方の声が不自然な程聞こえて来ないのも
不可解です
恐らく、冤罪を主張するには都合の悪い声しかないので報道できないのだと思っておりますが
(報道しない権利というやつですね)
もし、ご迷惑がかからないのであれば主様の所に寄せられる現地の方の様々な声を是非
ブログなりyoutubeなりで公開していただきたく存じます
飯塚事件は狭いコミュニティの生活圏内で起きた事件なのでその時、その場で生活しておられた
方達の感じられたことが一番真相に近いと思っています
この事件を冤罪にしたいメディアが彼らの声を報道しないのは、彼ら自身のメディアに対する
不信感が強いことと、恐らく声を上げても握りつぶされているからだと思っております
長々と書き連ねましたが、主様のこれからのご活躍期待しております
お体には重々お気をつけ下さい 失礼いたします
Toriさん、こんにちは。返信遅くなりました。
地元の方からの貴重な情報、なのですが、コメントでいただいているので、公開されています。
中で1人、「非公開にしてください」という方がいらっしゃって、私のコメントは即時公開制なので
後から隠すという形にしましたが、他の方のは読める形ですので、よろしければ読んでみてください。
今度、まとめてご紹介する動画を作ってもいいかもしれませんが、ただ、一応地元の方というのは
あくまで自己申告ですから、私の動画シリーズを快く思わない人が
「本当に地元なのかわからない」と言ってこられたら私は証明できないわけで…
ちょっとそこは迷ってしまいますね。
確かにこの事件は地元の方の元死刑囚への印象は紹介されないですね。
奥さんがまだ地元にいるからかもしれないですね。
主様、こんにちは
お忙しい中、返信有難うございます
コメント、読ませて頂きますね
もう、ネット上では消えてしまって読めませんが、今年の2月21日の
西日本新聞で珍しく地元の方のインタビュー記事が載ったことがありました
当時、PTA役員をされていた現在70代、60代の二人の女性の方のお話でした
70代の方の方は久間氏の奥さんの学生時代からの知人で、周囲は逮捕前から
既に久間氏を犯人視する人達が大勢の中、事件後も「普通の付き合い」を
続けるよう心がけたとと仰っていました
事件を機に地域を挙げて子供達を護る機運が生まれ、子どもの遊び場では
複数の大人が見守り、留守番をする子には近所の親子が付き添う等
当時の保護者の方達が必死で子供達を護ろうとしていたのが判ります
60代の方の方は、事件後に徐行する車にお子さんがおびえ、泣きながら
帰ってきたのを見て、子供達の不安、ダメージを実感したと仰っていました
被害者と同世代のお子様を持つ年代の方達にとっては今も忘れることの
出来ない「傷」となっていることがよく判る記事でした
最後の60代の方の女性の方の言葉
「突然、子どもがいなくなったことが一番重大なのに」
これが、やたら冤罪を煽り立て、事件の本質を見ようとしないメディアへの
地元の方の答えだと思います
なぜ、傷つけられた「被害者」側の人達が更に傷つけられ、黙っていなければ
ならないのか
その意味では未だに地元に住み続け、冤罪を訴える奥さんにも自分は怒りを感じます
自分は主様のように優しくないので、奥さんが久間氏の無実を信じ切っているとは
思っていません(公判で夫婦揃って供述を変遷させたり、知人に偽証を頼んだり)
最初に冤罪を訴えようとしたのは、まだ幼かった息子さんの為だったとは思いますが
もう、その目的は果たしたと思います(映像を見る限り、息子さんは一緒に住まれては
いないようなので)
なのに、なぜ被害者遺族に更なる苦しみを与えてまで冤罪を訴えつづけるのか
死刑廃止を煽動したい面々に利用されている側面があるとしても自分は擁護できません
感情的になり失礼しました(しかもまた長文、文章まとめるのヘタ)
お体に気をつけてこれからも頑張って下さい
失礼いたします
Tori さん、貴重なコメントありがとうございます。
本当にそうですよね。年月が経っても親御さんは今でも忘れないことでしょう。
テレビで子供さんの行方不明が報じられる度に、当時のことが蘇って苦しんでおられることと思います。
地元の方というコメントの中に、地元ではこの話題はタブーとなっていて、正月で酒が入った時に
口にする人がいる程度だと言っていました。
お兄さんが女児と同級生だったけれど、あまり話したことがないということでした。
それでも元死刑囚の顔を知っていたということで、被害女児も知っていたと思う、とある時語られたそうです。
公開されてますので(血痕と尿痕の回で、返信欄で語られてます)読んでみてください。
地元の方にも長く影を落とした事件だったと思います。
そんな中で引っ越しもせず残り続けた奥さん…やはり信じてるのかなあと考えてしまうところがあります。
当初は「庭」ということもあり、持ち家だからそういう事件もあると売れずに動けないのだろうか?とも
思ったのですが、団地なんですよね(分譲なのかもしれませんが)。
新天地で再就職も難しかったというのはあると思いますが(逮捕の94年あたりから新卒も氷河期に入っていく時代なので)、それでも動かずにいたのは信じる気持ちがあったから…?とも思います。
奥さんは当時40代か、それ以下だったのでは?と思うのですが(子供の年齢や流産のエピソードから)
女性として、もし夫がそのような犯行をしたと考えたら私は愛情を持ち続けることができるのか…?と思うんですよね。
怨恨だとか、最悪家族が生きていく金のために強盗に入って見られて焦ってしまっての殺人、とかなら庇うのもまだわかります(私は無理です)。
でもこのような幼女への性目的の殺人、というのは妻として無理で、嫌悪感と、そのようなことを起こして自分と子供の人生を滅茶苦茶にしたことへの憎しみが芽生えると思います。
普通に考えたらわかるはずだ、と我々は思ってしまいますが、夫婦をやっていて子供まで一緒に育てていたら
一番盲目になってしまうものかもしれません。
自分が一番わかっている、と考えるからこそ信じられないのだと思います。
そういう事例は古今東西多いです。福田和子の息子も、整形をした逃亡中の母に呼び寄せられていたのに、
「どうしても母がそんなことをしたと信じられなかった」と言っていました。あの状況でです。
まして、夫が「絶対にやっていない、アリバイがないからこんなことになっている」と言ったなら、
弁護士からの口添えもあって供述を変えたり、素人の浅知恵で偽証してくれる人を探そうと思ってしまうものなのかもしれません。