私がやっているチャンネル
で、最近Liveで話しているのが主にジェンダーギャップに関する「日本の遅れ」なのだけど、そこに関してのコメントに書いていたら長くなって投稿不可のようだから、せっかくだからこちらに転載。
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まず、私は社会学や人類学とかの専攻ではないですが、修士論文の章の一つがこのハイコンテクスト、ローコンテクストについてで(全体の論旨に対して検討項目として)、Hofstede Cultural dimensionsという有名な指標と、また各国から来ている人(海外の大学院だったので)からのアンケートやインタビューをもとに文献と合わせて検討して書いています。
しかし教授とのやり取りにおいて指摘されたのは、この議論で最初にホールが大別したような区分は2012年の時点において、かなり見直されており、言語学的な議論としては未だ興味深いものの、ホールやそれに続く提唱者が当時の地域研究的見地から導き出したものは現代では懐疑的な向きもあるということです。
この考えが提唱された70年代、日本が経済的に急伸して、それまでの「白人がリードし、他の労働者に命令する」なビジネス社会において対等な「異文化コミュニケーション」という発想が生まれた頃でもありました。
つまり、「西洋とそれ以外」というものを議論するという、一種のトレンドのようなものの中から生まれたのが「ハイコンテクストとローコンテクスト文化」であり、それは当時(つまりインターネットもなく、今ほど国際的な交流が盛んでもなかった時代)のオリエンタリズムや西洋的偏見も多分に含んだ基準のまま今でも語られているということです。
現代基準からして、十分なフィールドワークや、文化・言語学的知見があったとは言えないのです。
しかし日本では常に西洋との対比を考察する議論が人気なので、未だ学術レベルでも中心的に語られていますが、これが一つには「西洋人は空気を読めない、日本人は高度に察することができる」というような日本人の優越意識があるからだと私は思っています。
ちなみに私はLiveにおいて「民度」などという言葉を私の意見として使っていませんが(参加者が使用したのでそれに返答では使っています)、ここへの意識が日本はとにかく強いと思います。
そういったところとも関係はあるでしょう。
ちなみに日本人が優越を感じる一方、当時の西洋人がこれをどう見ていたかと言えば、私は空気として「しっかり言語化せずに何となく意思の疎通をしている」ことへのオリエンタリズムを感じます。
言ってみれば、アボリジニが文字を持たず独自の記号のような絵を残して伝達をしていることに対して日本人が抱く感情に近いように思います。
表層の意識では決して馬鹿にしていませんし、「へえ〜」という感心の気持ちもあるのですが、決して「自分たちが劣っている、自分たちもそうあるべきだ」とは思っていないでしょう。そのような見方に近いと思います。これは脱線した話ですが。
明治政府が西洋型に転換したのは「西洋帝国主義」に乗るためです。それはあなたもおっしゃるように植民地側にならないために帝国側に回ることを目指したからですよね。
19世紀は西洋が世界の一部ではなく完全なる支配側と決定づけられていたので、17世紀のように鎖国して独自路線を歩むだけでは済まなかった。
そこで転換して西洋側に入ったのです。それは別に軍備に留まらず、国のあちこちに西洋型の建築物を建てて、文化的に西洋のものを多く取り入れ、都市部のミッションスクールを介した文化の伝播も大きかったです。
これは決して、一部の欧米人が個人的趣味で東洋趣味を持つのとは違っていて、国の基盤として西洋路線をとったということです。
あらゆる西洋クラシック系文化のコンクールで、20世紀まではアジア人入賞者の大半が日本人(アジア系アメリカ人などを除く)でしたよね。
日本人はこれを日本人の優秀さと鼻を高くしていましたが、90年代ごろからは一気に中国人や韓国人の入賞者が増えました。これは単に「西洋化した」時期が日本が圧倒的に早かったというだけだったのです(ただし中国においては日本とは比べるべくもないインパクトがあるので、西洋、イスラームの次に大きな価値観として大別されがちですが、この議論においては現代は西洋型と私はつけています)。
そしてこうしたものへの入賞者の多さというのは、学術的な賞や五輪での成績に同じく国の成熟度を測る指針となっています。
でも三味線とか日本舞踊のコンクールがそれにとって代わることはありません。
それほど西洋文化というものが世界の主要国であるための「普遍的なもの」であるということです。
日本は島国だから、民族的な多様性がないから、というのは割と乱暴な考えで、日本はヨーロッパ諸国と比べても特別小さな国土でもないし、人口に至っては現在ではロシア(これは多くの観点で欧州に含めません)を除くどのヨーロッパ諸国よりもダントツに多いです。
最多のドイツは8千万人で日本の2/3、英仏は6千万人で半分です。
日本は人口で現在世界でも11位(最近まで10位)ですが、それに加えて山間部の多い国であり、藩にしても山で区切られていることが多く、一般人が関所をいくつも通るような往来は非常に少なかったです。そのため日本全体で見れば、かなり狭い社会で独自に形成された価値観の多様性があり、距離が長くなれば「異文化」レベルで存在していたと言えます。
一方、ヨーロッパにしてもロンドンやパリのような世界都市はともかく、それらの国も実は地方は国境付近を除けば非常に排他的で画一的な価値観に支配された地域だったのです。
それに加えて、ヨーロッパ社会は20世紀半ばまで強くキリスト教主義に支配されたものでした。日本の神仏のようにとりあえず寺社に行って祈ってればいいものではなく、聖書から解釈された生活規範などが細かく規定されており、それに従うことが求められていたのです。
ですから価値観の統一ということにかけては、日本よりも国や言語を超えても実現されていたと言えます。
日本でよく知られている児童文学で「赤毛のアン」というものがありますが、そのシリーズを読んでみてください。19世紀末〜20世紀初頭のカナダの島で、いかに空気を読むことが求められていたか。
赤毛のアンは空気を読むことがなく、自由にお喋りをするので困った子供扱いでした。そういう奇妙な女の子の話としてうけたのです。
しかしこれは逆に言えば彼女の親友のダイアナのような「従順にキリスト教的価値観に則って、適切なことしか言わない」のが一般的に求められた社会であるということです。
そのアンでさえ、15歳にもなる頃には空気を読むようになり、「普通こうなのに、あの人はそうではないから変人だ」という発想がシリーズの随所に出てきます。
日本に多様な価値観があり、統一的でなかったとわかることの例として、昭和30年代の名張毒ぶどう酒事件において、この村には夜這いの文化が残っていたということがあります。
一説には昭和50年ごろまで残っていた地域もあるとされています。
これは主に西日本の村に見られており、その風習も地域によって様々です。子供ができたら村の子供として何となく育てられる、もしくは母親が前後に関係を持った男性から父親を指名して結婚する、など様々だったそうです。
明治政府が西洋キリスト教文化の「貞操観念」を仕入れて、それを全国に広げたものの、それが徹底されないほど、日本は分断されていたのです。本当に今の形になったのは新幹線など交通機関の発展と、テレビの普及で日本人が同じものを見るようになってからです。
海外に正規留学に出て、その後違う形の在留資格で住んでみるとわかるようになるのですが、留学中はほとんど文化的に盲人です。
私も当初は自分はハイコンテクスト社会の申し子であり、こいつらは空気を読めない鈍い連中だから、的な意識を正直持っていました。
彼らの白熱した議論の中に入っていけないことを、日本人同士でそこに理由を求めることもありました。
私は社会科学系の専攻でしたが、当時日本人学生同士の付き合いの中で比較文化学のようなものを専攻にして学位を取得後に日本に帰って、今日本で教鞭を取ってるような面々を思い返してみても
「彼らは英国留学中の経験で得た自分の実感を信じて語っているのだろうな」
と思うことがあります。
私が「ああ、これはそういうことだったのか」とわかったり、実は現地人なりの「空気」があり、現地日本人が全然それに気づいてないことを知ったのは、はっきり言って現地人のパートナーと一緒に住むようになってからです。
彼が「さっき、あの人が君にああ言ったのは、あれはこういう含みがあった」とか「あんな風に答えるもんじゃないんだよね。まあ君は日本人だからいいけど」とか忌憚なく言ってくるからです。
友人とか知人レベルの人は異国から来ている人間にそんなことまで言いません。
普通は日本という極東から来た留学生に、そこまで言うこともないし、まあ外国人だからと流されるばかりですから、多くの人はいろんなことに気づかないまま帰国します。
海外経験のない人は、海外に住むといきなり現地人化するようにイメージしている人も多いのですが、日本に住む外国人の多くがそうじゃないように、当たり前ですが色々と膜を覆って生きているものなのです。
そして多様な文化に慣れている英語圏、フランス語圏の人たちは「なんだか変なことをしている/言っているけど、異国の人なんだな」とある意味「空気を読んで」いるところが大きいと私は思います。
(これは個人の知的環境/背景が高いほどそうです)
日本の大学で今でもハイコンテクスト、ローコンテクストの議論をしている先生方の多くは、欧米圏の大学院に留学して、留学前からの思い込みも基盤にして留学生活を終えている人も多いのではないかと思っています。
ちなみに21世紀の西洋VSイスラームの価値観的対立は昔の単なる領土拡大的な対立とは全く意味合いが異なります。
先ほど書いたように、西洋も19世紀までは極めて宗教的であり、それによって女性も抑圧されており、服装の制限も強くありました。
日本人が映画や文学などで触れる当時の人々は上中流階級や大都会で成功した人の話なので少しイメージが異なりますが、社会の大半を形成する庶民の生活はイスラーム社会と大差ない抑圧された地味なものだったのです。
さらにキリスト教とイスラームというのは(さらに言えばユダヤ教も)究極には一神教という同じ概念の宗教であり、宗教によって庶民の価値観がコントロールされ、統率されていたという点では同じでした。
日本が19世紀に近代化するために西洋側路線に入ったように、西洋的価値観というのは絶対的に上に君臨するものでした。
西洋的な側面も持ったオスマントルコを除けば、当時もう西洋諸国と同等の文化圏はなく、産業革命以降、人類の正しい進化を遂げているのは我々白人、という自負を持ったからです。
日本も攘夷勢力が負けて、西洋型近代化を決めた時点で、その路線を認めたことになります。
そしてジェンダーを含めて西洋での価値観変化の過程は「進化」と捉えられ、絶対視されてきました。
20世紀を通じて西洋諸国はジェンダー観を含めて劇的な変化があり、それらは全て「進化」と評価されてきたのです。
20世紀が終わる時までイスラームというものは、あくまで「普遍」から外れた進化のない世界観であり、植民地の人々が独自に守っているもので無視していて良いものでした。
それが2001年の9-11を皮切りに西洋社会への脅威となり、今、「西洋」と「イスラーム」という全く方向性の異なる価値観の共存がどう可能であるのか模索されている途上なのです。
詳しくはハンティントンという人が90年代に提唱した「文明の衝突」というものを調べてください。
とりあえず長くなりましたのでまとめますと、古くはベネディクトや、ハイ/ローコンテクスト論を打ち出したホールがいかに西洋とは異なる文化圏として日本を西洋と異なると評したとしても、方向性としては日本は西洋が掲げた価値基盤の路線に乗っている国であり、その進化の尺度で評価されているということです。
BBCなどの大手メディアがなぜ、日本の少女を性的に搾取する文化や、各界の男社会ぶりを散々ネタにするかと言えば、日本が大きな括りで自分たち側の国である、という認識だからです。
イスラームを国教とする諸国で女性が抑圧されているのは当然だし、他でも例えばパプアニューギニアとかの風習は別次元の興味として紹介され、特に批判も肯定もせず、博物館で何かを見るような感覚で伝えられます。
しかし日本は19世紀に西洋型近代化を果たし、帝国主義を展開し、敗戦後も猛スピードで復興して急成長して経済大国におさまった国として、「同じ進化を遂げるべき国」として捉えられているから、そういう批判がなされているのです。
例えば中国に対しては近代以前からの存在感があまりにも大きいこと、そして政治体制の違いから、別枠という形で語られることが多いです。(ただしジェンダーギャップに関して中国の方が日本より”進んで”います)
あなたは日本女性がもっと主張すべきだ、とおっしゃいますが、日本はその土壌にありません。
日本の人はこの問題を「男性VS女性」という構図にして、互いが主張し合っていると捉える人が多いですが、伊藤詩織さんに対して辛辣な批判を展開していた人に女性も多いように、これは結局「リベラルVS保守」の話で、保守女性は保守男性と同じく従来の価値観を変えたくないとしていて、今現在に至るまでそちらの方が主流なのですから「女性」という枠組みの人にだけそう言っていても仕方のないことです。日本人全体の認識が変わらなければ意味がありません。
そもそも、同じ人間に対して、必要のないところで男性、女性と別の種類の生物であるかのように扱うこと自体がおかしなことです。
五輪のように人類の中で究極の記録を追求する場であれば、筋肉のつき方が明らかに異なる男女を分ける意味はありますが、それ以外の場では、男性の平均より力を持つ女性が存在するのに個人差にまで落とし込まず性別で足切りのようなことをしているのが日本社会です。
医大の入試差別問題があった時に、女医タレントが「それは仕方ない。女子が多く医学部に入ると外科医が少なくなる」と言っていましたが、彼女自身は整形外科医です(タレント活動の方が多そうですが、少なくとも整形外科医になるために研修しているわけです)。
このように時として「女性の少ない場に入れた女性」が保守的な立場であることは珍しくありません。
ちなみに私の知人の女性医師40代は、国試後に医局に入る際に明らかに性差別があり、女子の入りにくいところが多く存在すると話していました。
「うちは女子は取らない」とはっきり言う教授もいたそうです。
尚、ハイ/ローコンテクストでは日本同様ハイコンテクストに区分される香港ですが、民主化デモが多く起こったことは記憶に新しいところです。
また日本も1960年代終わり頃に激しい社会運動の波があり、東大が入試を中止した年もあったほどでした。
フランスで一番最近で注目された暴動はアラブ系少年が警察により射殺されたことへの抗議(そのため、この暴動の中心は北アフリカ系ルーツを中心としたフランス人たちですが、もちろん従来の白人フランス人もいます)ですが、あの場で参加者は「暴動」と「デモ」を混同して使っていました。
もちろんデモの中から一部が暴徒となることがあり、日本のテレビはそういったところにフォーカスして報道していますが、それが本質ではないことは、あなたは理解できるような気がします。
フランス人は今なお7月14日の革命記念日を大きく祝う人々ですから、デモをして政府の決定に抗議することは当然の社会的な行動としています。
デモと異なりますが、フランスではストライキも盛んで、そのために不便なところはありますが利用者は文句は言いません。
労働者の権利が最も大切である、というのはフランス社会の根幹であり、自分たちも立場を変えれば労働者なのでお互い様だからです。
そういうところに関して、管理者側が文句を言うのは圧政的とみなされ、信用に関わります。
デモをするかしないかは、国民と政府、もしくは権力との対等さ具合と、国民の政治参加意思の強弱によります。
香港の学生は対等ではないにもかかわらず、自治の維持を求めてデモを展開しました。コンテクストは関係ありません。
また、実は日本でもデモは起こっています。安倍さん在任時に反原発デモは相当規模で起こっていました。
しかし、これが日本のメディアは流さないか、少し報道したのみで、都内の官邸前でそのようなことが起こっていた、ということをどれだけの日本人が知るに至ったでしょうか?
フランスのデモは一部の暴徒にフォーカスして大きく流すのに、おかしなことです。
私のこのチャンネルの主旨は「情報操作」で、飯塚事件の動画をあげていたのは、メディアの偏向があまりにも激しいからでした。
ですから、一部の参加者は殺人事件ではなく私がこのようなことを話すのに違和感があるようですが、私の中では一貫しています。
私は21世紀に入ってからというもの、日本がメディアによってソフトに意思コントロールされていると確信していますし、その一つが「日本スゴイ」コンテンツの乱立だと思っています。
私は日本がトップクラスだったと言える時代を記憶している世代ですが、2010年代に欧州にいると(これは必ずしも欧州だけとの比較ではなく、そこにいる世界中の人との比較により)明らかな日本の凋落を感じざるをえませんでした。
また、自分自身も日本のコンテンツにより日本のセルフイメージのようなものを高く持っていたことを自覚せざるをえませんでした。
日本にいるとそういったことは見えませんし、海外にいると「日本」というものが強いアイデンティティとなるため、危機感を強く覚えます。
例えばひろゆきというフランスに住む大金持ちが日本の社会についてリベラル寄り(ものによりますが)な意見を言いがちなのは、そこが大きいと私は考えます。
90年代から住んでいるような人は、日本の変化をよく知らないため、日本の方が素晴らしいというイメージを持ったままの人が多いです。
しかし、ひろゆきも2010年代半ばに移住しているので日本の遅れを実感しているでしょうし、日本の地位が下がっていくことを憂慮していると思います。
なぜなら、いくら自分はお金持ちでも、出身国の地位が自分の外国人としての地位に大きく関わるからです。
これは多くの日本人も在日外国人を出身国というフィルターで見がちなところを考えるとわかってもらえるかと思います。
先ほど私が当初は文化的に盲人だったと書きましたが、私は当初、日本人がハードワーカーで文句も言わず遅くまで仕事することを、表面ではネガティブなこととして振る舞いつつも、なんとなく「日本スゴイ」的に捉えてるところがありました。
しかし、私がある知人の60過ぎの英国人女性に自分が会社員だった時に終電の0時ごろまで働くことが多くあった、と言った時に
ひゃあっというような悲鳴を上げられ、なんて酷いこと…と哀れみの顔で同情された時に私は期待外れの反応だと感じていました。
そんなに頑張って働いていたのね、日本人はすごい、というような反応を私が期待していたことに気づいたのです。
それは2012年の話ですが、私はそれまでソフトに日本社会に洗脳されていたと感じています。
ぴったり夕方に帰れるような仕事は閑職であり、また給与のためだけに働いているのではなく、誇りを持って仕事をしているから遅くまで仕事をすることがあるのだと。
日本のそのような面は過労死がkaroshiと新聞に載っているくらい、一定の層には知られていることですから、私が大学院終了後に英国で就労ビザを得たいと奔走している時(これは当時の英国移民局の方針的に非常に困難なことでした)、すべての英国人の知人が私を応援してくれていて、実質非常に難しいことに「なんてことだ、君みたいな人こそ残れればいいのに」と残念がってくれました。
誰1人として「なぜ、英国にそんなに残りたいの?日本はいい国なのに」とは言いませんでした。
私は段々と誰もそう言わないことに日本人としていらついていたほどですw しかし現実問題は残りたくて仕方がなかった。
彼らにとって、他の途上国の人が英国の在住権を得たくて奔走するのと同じように、日本人がそうなのは当たり前のことなのです。
皆、震災後に冷静に譲り合っていて素晴らしい、とか、ゴミを片付ける、とか褒めてくれますし、エキゾチックだから機会があれば旅行してみたいとは思っても、住むのが羨ましいような国とは一般には全く思われていないのです。
日本は一時的とはいえ、一人当たりGDPをもってしてもルクセンブルクなどの小国を除けば欧州の一定以上の人口のどの主要国よりも上の時がありました。
テクノロジーの国とされた時代も長く、どこよりも先進的と思える時代もありました。
ポテンシャルはあったにもかかわらず、今一つ先進国として成熟しきらずに、衰退の道を辿っています。
それを国民が認識せず、選挙時の議論もなく、なんとなく目立つ人に入れたり、「地盤」で入れたりして成立した政権が国民の生活よりも大企業を優遇しており、それを国民が何も思わず受け入れている状況を「飼い慣らされている」と言わずして、どう言えばいいのでしょうか?
都合のいい男/女、という言い方がありますが、まさに「都合のいい国民」です。
とりあえず異常に長くなりましたが、いいお題を貰って考えを書いた、という感じで書きました。
コメント
はじめまして。コメントさせてもらいます。
ユーチューブの方で元々のコメントから読ませてもらっての感想となるんですが、「レベルが違いすぎる」の一言ですね。
懸念しているのは、元々のコメントした人を含め、主さんの「ファン」を名乗る人も、そうじゃない人も、主さんのレベル感をあまり理解していないんじゃないかということです。
私は変わり種で、主さんのある一連のツイートを見かけて、主さんそのものに興味を持ったため、youtubeに飛んでみました。そしてLiveも飛ばし飛ばしですが聞いてる次第です。
しかし飯塚事件の動画もほとんど見てみたのですが、元々事件のことは知らず、主さんが批判する番組も見たことがなく、元々あまり興味ある話ではなかったのです。
それでも、主さんの基礎力の高さみたいなものに魅せられて見ていきました。
冤罪事件かもしれない殺人事件、という極めて大衆的な興味の話題を、こうも知的に整理されたトピックに編集されている点に驚きました。
これを理解している人がどれだけいるんだろう、と思ってしまいます。
私は元々理系なんですが、主さんが文系で元々そのような知識や勘がなかったところから、判決文で提示されている情報の理解のために何を明らかにすべきか、そのために何を調べていくか、調べるためのソースへのアクセス、そして結論への整理が綺麗に学術的で、しかしそれを感じさせない。
海外の院卒でいらっしゃるということで、なるほど…と思えた次第です。
だから基礎力の高いアプローチがあっての書き方ができるんですね。
元のコメントの方がhigh/low contextという視点を入れてくるのは、興味深いところだと思いました。
それ自体はいいのですが、主さんのリプライへの返信、そしてこのトピックを見てみて、まるで論拠の出し方の基礎を知らない学部の1年生と教授ほどのレベル差があると思いました。
レベル差があっても良いんですが(そうじゃないと大学の存在意義がない)、主さんが無料でここまでみっちりと回答されていることに感動しました。
全ての点に一般のイメージを何層も上回る論拠で回答されているので月並みな言い方ですが非常に興味深く、目から鱗でした。
先日、殺人事件がテーマではないが、いつの間にかそうなってしまったというようなお話をされてましたね。
積極的にコメする人たちは主さんにそういう期待をかけているのかもしれませんが、私のような者もいると知っていただきたいと思いました。
これからもご活動楽しみにしています。
コメントありがとうございます。
飯塚事件に興味がないのに見て下さっている! サイレントマジョリティの意識はあったんですが、そういう方がYouTubeの方も殆ど見て下さっているという発想はなくて驚きました。
ありがとうございます。
あと、理系の方にそうおっしゃっていただけると嬉しいですw
学術的というのは褒めすぎですが、確かに判決文は裁判官が長期に渡り各専門家の承認から説明を受け、質問を繰り返して理解したところの結論のみ書かれているので、前提知識がないとチンプンカンプンです。
一応自負としては、文系なのでちんぷんかんぷん、という立場(見る人と殆ど同じレベル)から、ちんぷんかんぷんなものを調査していく、ポイントを整理することができる耐性は経験によりあったのかなと思ってます。
判決文を読んで普通に理解できる立場の人だと、ちんぷんかんぷんという視点が理解できないこともあるので、私は結構ちょうどいい立ち位置だったと自負していますw
本記事は、最初は当該コメントへの返信として書き始めたのですが、途中で個人的な返答としては長すぎるからブログに投稿しようと決めました。
そこから割と派生的なこともどんどん書いているんですが、こうして投稿してみると返信という形式を保ったままでもあるので、読みにくいというか内容把握が難しいのではないかと思っていたところです。
きちんと見出しなどをつけて整理したほうがいいだろうなと思っていたところなのですが、このような感想をいただいて驚いていますし感謝いたします。
また何かあればこちらでもYouTubeでもコメントください。
こんにちは。
youtubeで何度かコメした者です。
割り込みが嫌なので、迷った挙句、こちらに書かせてください。
Tamagoさんがしているやり取りを現時点の最新のところまで全部読みました。
ハイコンテクスト、ローコンテクストというのは確かにビジネスが何らかの形で国際的ならよく言及される話で、一定の納得を得られやすい話題ですね。
しかし、アメリカ経験のある僕も何年目ぐらいから徐々にアメリカ人やそこにいた欧州か南米から来た人にも「空気」ってあるんだなー、と気づいてしまったw
漠然と昔に浅い印象で語られた話だなと思うようにはなっていたので、Tamagoさんが完膚なきまでに、この話の胡散臭さを説明してくれて興味深かったです。
面白かったのは在住日本人が読めていないことが多くて、Tamagoさんが現地の事実婚相手さんに指摘されて気づいていったというところ。
これわかるな〜。僕も全然気づいてないことが多くて、言葉通り受け取っていたと思うんですが、現地の学校に通わせていた娘に後から「それはこういうことだよ」と教えられたりして、俺、めちゃくちゃKYな日本人だったんだなと思いましたね・・・
でも娘も当時は子供なので、よくわかっておらず、ある程度の年齢になってから自分の経験と英語維持のため見ている番組や情報が段々結びついて理解するようになったとか。
こういうのはやはりネイティブレベルの言語力でその社会にいないと実感できないことで、その提唱者が多数の言語権を分類するのは難しいと思う。
wikiで見ると、彼の研究も他の人類学者と同じく、ミクロネシアかどっかの一地域に絞って分析基準を定めて調査してるわけだしね。
第一に言いたいのは、たとえ日本がハイコンテクストで欧米がローだからといって、明らかに泥酔して正常な判断を失っている相手に性行為に及ぶことへの言い訳にはならんでしょう。
ハイコンテクストだのローコンテクストだの文化を超えて、それが性犯罪に当たるということは国際的なコンセンサスに当たるという話で、それに当てはまらない国というのはTamagoさんが言うように、(西洋が始めて今もリーダーシップを担っている)近代国家のチームにいないということになる。
日本がアラブ諸国みたいな「今でも平気で女性の人権が認められていない国々」ではない、男女同権をうたう近代国家グループにいるのは自明で、それならば明らかなレイプと言えると思います。
僕は残念ながら現地の女性との恋愛経験はないんだけど、アメリカ人にしても欧州人にしても、そうそう性行為に及ぶ前に「では合意のもとsexしましょう」なんて言ってないでしょう。
映画見りゃわかるけど、当然彼らだっていい雰囲気から入ってることがほとんどだけど、そこで拒絶しないことが合意になってるわけで、お互いに正常な状況判断力があるから成立している。
伊藤氏がタクシードライバーやドアマンに目撃されたくらい泥酔していたら成立しない。
そういう話に、ハイとかローコンテクストを入れる段階で「的外れ」だと思います。
大体、男女の恋愛ごととか、日本の方がよっぽど言質取るからね。
欧もそうだと思うけど、アメリカ人は恋人になるのに告白とかしないで2人の空気にまかせて徐々に関係を築くことが多いけど日本とかアジアは告白という言質が必須だしね。
ここからは、Tamagoさんの圧倒的な知見に敬意を込めていることを前提に読んでください。
あのやり取りの噛み合わなさは、Tamagoさんが指摘している通りに論理構成力の違いだったり、多分学歴差や海外経験のありなしもあると思うんですが、上の「分子生物学の人」さんが指摘されているところが大きいと思う。
最初のポスト自体は内容はともかく、一応議論の提案という形にはなっていたと思う。
しかしTamagoさんの返信に対しての返しが全く反論の態になっていなくて、Tamagoさんの書いている言葉の一部に反応して、もっともらしく書いていて、片腹痛いな〜と思ってしまうものではあったけれど、その人は至って真面目に自分の方が上回って反論できていると思っていたと思う。
自分語りをして申し訳ないんだけど、僕は結構な田舎で育って、そこでは高校も5つくらいしか選択肢がなかったので、僕の高校は地元の中学で上位2割なら入れてしまう程度の自称進学校(でも地元では1番)、そこから駅弁国立理系に入って、そこから首都圏国立の院にロンダしてます。
大手企業に開発職で入って、アメリカに研修、しばらくして駐在の機会を得ていて、そこらへんの同僚とか知人はそれこそ開成から東大で、院はアイビーリーグなんてレベルも全然いる。
だから、僕は知的な環境において、さまざまなタイプの人がわかると自負してます。
まず、僕の田舎の同級生は、Tamagoさんみたいな女性は想像もつかないと思います。
田舎では大衆的な右がかった「素晴らしき日本」みたいな本を読んで、スナックのママに知ったような話せば「すごーい」と感心されます。
女性は男性の話に逆らわず聞く、という風潮があるので(若い子は変わってきてるけど)、女性に逆に教えられるという発想がない人も多くいます。
一方で、都会の中高一貫校から一流大学入って、海外の大学院に入って・・・、というTamagoさんの経歴を聞くと、Tamagoさんは「大学院がどういうところか知らない」という人の存在知ってるのかなと思ったりもする。
こういうこと言うと世間知ってるマウントと思われるかもしれないけど、僕の周りのいわゆる「エリート」はビックリするほどそういう層のことをわかってないので、Tamagoさんが相手にわかってもらえると思ってあんなに長文で応えてようとしているのは、そういうところもあるのではないかと思いました。
Tamagoさんは飯塚事件の動画で人気が出たから、正直言ってTamagoさんがブログ記事含めて書いた一連の文章を読んで理解できる人は少ないと思う。
Tamagoさんの狙いが、日本礼賛に溺れてる人の目を覚ますことだというのはよくわかっています。
しかし、理解できる人が少なさそうであるというのも踏まえた方がいいのではないかと思います。
これは少なさそうだからやめた方がいいということではなくて、相手に分かってもらえると思って長文で説明しているので口を出したくなりました。
僕もずいぶん長く書いてしまいましたね。
ちょっとした一感想として読んで頂けたなら幸いです。
せいのまいきーさん、コメントありがとうございます。
>ハイコンテクスト、ローコンテクストというのは〜
そうなんですよね。実は英語圏の人や、フランス人にも、彼ら特有の空気があり、それは第一言語レベルでそのコミュニティにいないと独力ではわからないものなんですよね。
これはあちらの人には通じない話だと思うのですが(語学力マウンティングみたいに思われたし…)、どんなに語彙力があって流暢でも、第二言語レベルだとそういう空気を自然に読めるようにはならないと思います。
「あなたは大学院レベルの語彙力があるので教育レベルの低いネイティブより上ではないか」と言われたりするのですが、そういうことではないと実感できるのは私やせいのまいきーさんのようなバックグラウンドがある人だけかもしれません。
いや、私の見たところ、多くの数年で帰国した人は、その空気の存在に気づかず帰国しているので背景がある人でも難しいかもしれません。
言葉を尽くしても説明しにくいですね。
娘さんの感覚もわかるような気がします。私も後からつながる、ということはよくあります。
>第一に言いたいのは、
こちらを読んで、私はなんと遠回りしていたのかと思いましたw
そうなんですよね。正常な状況判断力を持たない状態の人(泥酔している人)から性行為への合意は取れない、というのは国際的な共通認識であり、日本はその共通認識を持つ側である(イスラーム国教国家などと異なる)という話をしていたのですが、相手の人が「西洋より遅れている」という構図に納得できないようなので、それに一つ一つ応じていたらここまでになってしまいました。
>ここからは、Tamagoさんの圧倒的な知見に敬意を込めていることを前提に
わかります。飯塚事件で始めたチャンネルなので、今ひとつ意図が伝わってない感もあります。
おっしゃるように、既にこの「日本スゴイコンテンツの氾濫」のやばさがわかっている人と共感し合いたいわけではなく、わかっていない、酔いしれている人に向けて伝えたいのですが、まあ反発が強いです。
私も日本を出る前は今からは考えられないほど日本に対するスゴイ意識があったので(そしてうっすらとした選民意識があったのも認めざるをえません)、その頃に聞かされていたら反発心があったと想像できます。
私の場合は別記事にしているのですが、実際に生活している中で「あれ?英国って、フランスって、意外と日本より先進的なインフラになってるんだな」と思ったり、医療制度を利用する中で、気づいていったという経緯があるので、認めざるをえない現実だったのですが。
>Tamagoさんは「大学院がどういうところか知らない」という人の存在知ってるのかなと
一応知ってるつもりですw
「大学院?それって大学より上の学校?」って言われたこともありますし。
大学院という機関のことは知っていても、具体的に何してるかイメージつかない、という人なら多くの人がそうなんだろうとは思っていますよ。
ただ、それを言った知人を含め、なんというか分野に対する知識がないとしても、説明すれば理解できる人が私の周囲には多いと思います。
ネットのやり取りで気づくのは、思い込みが邪魔して他人の文章をそのまま読めない人が多いですね。
リアルでは何らかの属性が交わる人(同じ学校、同じ職場、同じ海外都市に住む日本人…などなど)との交流に限られがちなので、ネットではこうも話が通じないか、こちらが常識と思っていることが共有できていないか、などに気づくことがあります。
おっしゃるように1つ目自体は普通に議論の提案として成立していました。
ですから私はハイテクスト、ローコンテクストの否定からアプローチし、そして日本がなぜ西洋の規範(性行為において男女は同等の立場で合意に至らねばならない)に追いついていかなければいけないのかについて、日本の国際的な立場を説明していったつもりですが、
その論旨からどんどんずれて、単なる個別の反応として否定をしてくるので「この人は何が言いたいんだろう?」ということで、結局私が日本批判をしている、ということ自体を批判したいだけなんだということがわかりましたw
一応そういうやりとりは初めてではない(Twitterなどでも何度か絡まれてます)ので、そういうのはわかっているつもりです。
ご心配いただいたみたいでありがとうございます。