「日本スゴイ」は神風信仰と同じ。

私はよく、このtwitterアカウントで、日本人の意識がずれていることを指摘するツイートをしているのだけど、

なんで自分の国にそんなに自虐的なのか

って、ごくたまにからまれてしまうことがある。

何でかというと、私は10年ほど前に学位を取るために英国に留学して、その後さらにフランスに3年弱住む機会にも恵まれたのだけど、その海外滞在中に、目が覚めてしまったからであり、日本の沈没化に気づいて焦りを感じているからである。

中華メーカーへのその見下しは、過去の日本メーカーの軌跡を否定するようなもの

今回このブログで私が目が覚めてしまった経緯を書いていこうと思ったのは、スマートウォッチをあれこれ迷っていて色んな紹介動画やamazonのレビューなどを読んでいるうちに

中華メーカーへの感覚が世界とずれてるな…(まだ10年くらい前の感覚?)

と感じたからである。

中華メーカーが好みではないのでAppleなどアメリカメーカーを選択するのは全然良いと思うのだけど、その見下し方に非常に違和感を覚える。

もちろん昔と変わらず粗悪なメーカーは多くあるのだが、ここ数年のファーウェイとかXiaomiの位置付けははっきりいって、70〜80年代にSONYをはじめとした日本メーカーが世界に根差し始めた位置付けと同じであると思う。80年代後半、私はまだ子供だったけれど、親が見ている報道番組か何かでアメリカ人が「日本はアメリカの真似ばかり」みたいなことを言っていたのを覚えているし、それを私の親など日本人も自覚していたと思う。

ファーウェイに対してアメリカが情報漏洩の疑惑をかけて規制しているが、その昔もアメリカはどれだけジャパンバッシングをしただろうか。ファーウェイ問題の真偽は不明だし、嘘だというつもりもないけれど、私は1980年代、東芝ココム事件というのがあったよなあ、と連想してしまった。ソ連に東芝の機器を売った結果、対ソ連への防衛に甚大なるリスクを生じさせたとめちゃくちゃ批判された事件である。

また、フランス人の元パートナーが語っていたが、フランスではやはり80年代に日本の車が欧州市場に参入してきて、ルノーなどにとって大きな脅威となった。なぜなら、高級車が有名な英独伊のメーカーに比べてルノーなどのフランスメーカーは大衆車路線が強く欧州市場を支配していたのに、日本車がそれより安く出すことでシェアが奪われる。もちろん日本車が壊れにくいという評判はあるけど、それは後から来たもので、最初は日本メーカーは安いから、そしてコスパが良いから売れ始めたのだ
そしてフランスは日本車の輸入規制をしている。

何が言いたいかと言うと、日本メーカーが80年代あたりにブランディングに成功したのなら、当然中国メーカーもそれが可能であり、実現してきているということである。

そのことを日本人だけがこうも理解できないというのは、根拠のない「日本スゴイ」妄想に国民的に取り憑かれているからだと私は感じるし、それに気づかぬまま1億2千万人で泥舟に乗ったままではいけないと焦っている。

知らず知らずのうちに「日本スゴイ」感覚を持っていた

私は元からリベラルで、それまで日本に内在していたアジア人差別にも断固反対で、もちろん他のあらゆる差別にも反対であり、そういった言動を批判もしてきた…つもりであった。

大学ではアラビア語や中東史などを学び、欧米追随型の価値観にも反発しているつもりだった。

でも、やはり私はどこかで

日本人というのは特別優秀な傾向のある民族であり、欧米的近代化を19世紀に果たした欧米寄りのグループに所属し、かつ特有の勤勉さ優秀さをもって欧米より優っているのだ

と無意識に思っているところがあった。

そして、

世界中で、その日本や日本人の素晴らしさは認識されている。わからないのは無学な人や未開地の人だけ

と思ってもいた。

もちろん、当時でも自覚としては薄かったと思う。私は日本の国立大で国際経済学の修士を取っている中国人の同僚(日本語も完璧)がいて、彼女の優秀さと職位が合っていないと思っていたし、オウベイには日本を中国の一地域(香港と混同)と思っている人が存在することも知っていたし、日露戦争に勝って列強入りしたのは偶然が重なったからだ、と語ってもいた。

でも…それでも私は、知らず知らずのうちに

日本という国、日本人という民族は特別

という感覚を少なからず持っていたし、それは単なる自分の国への誇りとか民族的アイデンティティに止まらないものだったと思う。

これに気づいた時、ああ我ながら、この国が歴史的に繰り返してきた洗脳に自分はやられていたのだなと暗澹とした気持ちになった。

戦時中に、「日本は神風が吹く」などと、一体どれくらいの日本人が本気にしていたのかよくわからないけど、澤地久枝氏の当時を振り返るエッセイなどを読むと、女学生たちがかなり本気にしていたのが窺える。女学生というのは入試を突破して女学校に通う、現代の中高生の年齢の子たちであって、知性ある10代がそこまで信じているというのは親との会話の中にもそれを疑う要素がなかったからであろうと思う。13世紀の単なる天候の偶然に助けられた事例を20世紀のあの時代に国民的に信じさせることができる国、という意味では確かにスゴイのかもしれない、と思ったりする。

意外と英国が日本より便利だったり進んでいた

海外生活1年目は、まだ自分のそういうところには気づかないところがあった。

しかし、思った以上に英国が日本より進んでいたり、便利な部分が多くて、意外に思い始めていた。

私はチューダー朝時代のゴタゴタを題材にした映画や、ビクトリア時代の文学なども好きで英国に憧れていたので留学したのだが、何となく現代的な利便性という意味では絶対的に日本の方が進んでいると思い込んでいた節がある。

当時、私は3GSからiPhoneを持っていたが、まだまだ日本人の多くは「iPhoneやスマホにすると料金が高くなるし、おサイフケータイやワンセグのあるガラケーで十分」という時代だった。

しかし英国に入ってO2やvodafone, threeなどの主要なキャリアでSIMのプランを調べると、そのリーズナブルな内容に驚いた。

たとえばsimカードは空港やスーパー(各スーパーのexpressというコンビニ的な店でも)でも入手でき、月に定額で払うのではなく使う分だけチャージできるトップアップというシステムがあって、私のクラスメートはこれを利用していたけれど、wifiの飛んでいる大学構内(住んでいる寮も広大なキャンパスの中に存在する)で毎日を過ごしているので、10£(当時のレートで1300円以下)をチャージしたまま殆ど減らないので何ヶ月も過ごせているといっていた。電話料金もそこに含まれるが、それも1分数セントやそこらだったと記憶している。

私は割とロンドンに行くこともあったので、一応月額にしていたが、英国内の通話2時間、2GBのデータ分で10£とかであったと思う。別にたまに外出してGoogleマップなどを見ながら歩いたり、Facebookに写真をあげたり、やり取りする分には十分だった。

そして大学ではなくても、至る所で公共のwi-fiが飛んでいた。2022年の今は日本もそうなってきているが、2011年や2012年の日本は全くそうではなかった。

日本では当時、iPhoneを持つためにソフトバンクとの契約をしていて、パケットし放題とかもややこしい従量制になっていて、とにかく端末代を抜いても、その4倍くらいは支払う必要があった。そして通話となると1分40円以上もかかる。ソフトバンク同士なら何時から何時は無料とかあったけれど、その制約は今考えるとケチくさいにもほどがあった。そこに実質月賦制になっているiPhone端末代を加えて1万円くらい払うようになっていたのだ。

当時英国で「えっ!iPhoneやスマホの維持費がこんなに安くて済むの?!」と驚いたのだが、大陸側のフランスなども同様であり、そして中国人や台湾人とも話していて、日本こそが異常に高いという現実に気付かされた。

時々、未だに日本の物価が高いからではないかという人がいるのだが違う。英国で普通に外食するとざっくりいって日本の倍はゆうにかかる。ロンドンの家賃も立地によるがべらぼうに高く、私の元パートナーは35平米くらいではないかというフラットに月に£1800(28万円ほど)も払っていた(多分現在ならもっと高い)。

高いものと安いものとの種類が違って、これは時々逆転もするが(都市間鉄道などは安いし、食材自体は同じくらいか)、全体的には英国の方が高い。

つまり、スマホというものが2011年ごろの日本ではまだ少し贅沢なものだったのが、英国では気軽に持てるものだった、ということである。

そして実際に、2012年当時、日本でのスマホ普及率は22.9%だったが、英国は人口6700万人のうち約40%の2700万人が既に所有している。

また、英国は留学生(学位取得型だけかも)も当たり前に入れてくれるNHSという国民健康保険があるが、これは診察も検査も手術や入院も無料である。これが前評判の「無料だから待たされたり、最低限だよ」というのとは違って、私個人の経験から言えば日本以上とも言えるサービスだった、ということに関しては語り尽くせないのだが(日本人の多くはアメリカを海外全体と誤認しているので、国保が日本と北欧にしかないと思っている人が多くて、これも正して回りたいところである)、そこでも予約がきちんとシステム化されていて、SMSできちんとリマインダーがくるのにも感心した。

医療機関の予約といえば、フランス(も自己負担はあるが勿論国保はある)で診療医にかかる際もオンラインで予約できるようになっている。そしてフランスはこれは便利とはいえないかもしれないが医療検査をするところが通常バラバラで診療所ではないところで行われる。しかし、血液検査を午前中にすると、その日の午後には登録したメールアドレス宛にPDFで分析結果が送られてきた(2015年の時点で)。

他には、最近ようやく日本のスーパーなどで見かけるようになったセルフレジが2011年の英国の地方都市の殆どのスーパーでは既に当たり前のようにあって、皆使っていたし、キャッシュレスに関しての日本の遅れは言うまでもないだろう。

スーパーといえば、大学のセメスターが終わった後に学生用フラットを出る必要があり、住宅街に引っ越したのだが、これによりスーパーなどが少し遠くなった。そこで忙しい時に各スーパーのオンライン版を利用していた。スーパーによるが一番一般的なTescoだと翌日配達も可能で、しかも時間帯も割と細かく指定できた(英国の宅配とかは当時あまりできなくて不便だったので驚きであった)。
これも2012年ごろの話で、日本ではまだそこまでではなかった。

また、デリバリー注文のサイトも色々利用していたが、やはりこれも日本より数年先んじていたと思う。

上に書いたように、私は漠然と英国とかフランスというのは19世紀の覇権国家の栄華の余韻を残したまま、少し旧式なところがあって、たとえばまだ通話とSMSくらいしかできない携帯を皆持っていたり、日曜は店も空いてなくて不便なのではないかと想像していた。

もっと昔に留学していた友人などの話によれば、90年代から2000年代初頭あたりは日本人の方が全体に進んだ生活をしていたのは確かだと思う。

しかし、少なくとも2010年代は日本人の一般的な生活が英国人やフランス人よりも先進的であるとはあまり感じられなかった。というよりも、これらの国ではインターネットやSMSがインフラにかなり活用されていて、日本よりも高年齢の人がPCやスマホを使いこなしていると感じた。80代は微妙かもしれないが、第二次大戦後生まれの人たちなら、仕事で使ってないような人でさえ、家にPCがあって基本操作ができる人が多いのではないかと思う。

長くなってしまったので、これは多分シリーズ化(笑)

続いて書きたいのは、日本人が思うほど「途上国」に暮らす人々の生活の質が低くはない、ということとか、「日本に来ていたりする外国人」の日本感(日本スゴイの他者承認欲求を満たしてくれる)がその国の一般的な日本感ではない…ことなど。

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