「あるアスリートA」はアメリカの体操のナショナルチームに所属していたエリート選手の少女が、専属スポーツ医から受けた性的暴行を訴えていく話である。
しばらく前に見て、今Netflixの契約を切ってしまって見返していない状態で書くので、曖昧な記憶のまま書くのにご容赦願いたい。
信頼していたチームドクターから受ける性被害
オリンピックに出ることを夢見て、少女にとっては全てを賭けてナショナルチームでの練習に明け暮れる毎日。
体操は、特に女子の場合は体が成熟し切ってしまうと難しい競技であり、五輪を目指すなら十代、という現実がある。更に4年に1回しかないというとそのチャンスは1回か多くても2回しかない。
生来の突出した才能を持つ少女たちも、限られた機会をめぐって壮絶な競争に勝たなければならないのだ。
毎日の練習は厳しい。普通の学校に行っている暇もなく、ホームスクーリングにして1日の殆どを練習に費やす。
その、一般的な生活からかけ離れた中で、彼女たちはチームのコーチから代表に選ばれたいという追い詰められた気持ちを常に持っているし、怪我などで外されたらたまらない、と思っている。
厳しいコーチ陣に反抗もできずに従うしかない日々で、優しいチームドクターのことは信頼するようになる。
しかし、一般の10代の世界から隔絶されたようなところで生きる彼女たちが、ある意味世間知らずというか純粋なことを利用して、このチームドクターは性的暴行をはたらくのだ。
ここで性的暴行というと、性交を強要したかのようだけれど、どうも違う。陰部に触れたり、指を入れたりして、その間このラリー・ナサールという男は性的興奮を覚えていた。
ついでにいうと、時々Twitterで、伊藤詩織さんへの中傷の一つに、彼女がBBCで「日本に育つと、日常的にsexual assaultを経験する」と発言して、assaultは明らかにレイプのことだ!完全にデマだ!というのがあるが、このドキュメンタリーでもabuseだけではなくassaultという単語は使われていた。
話を戻すと、最初にこのようなことをされた時、少女たちはそれがはっきりと何なのか、断定できずにモヤモヤとしていた。
そして一人の少女が口火を切って仲間に打ち明けると、その子も同じことをされ、大きな違和感と不快感を抱えていたことを知る。
そうしてやはり自分たちは性的な暴行を受けているのだと認識して、親に訴え、親も激昂するのだが、体操連盟は隠蔽しようとするー
もはやナサールだけではなく、連盟という悪を追及していく、という経緯を描いた作品だ。
最近、40代にして、セクハラを受けて即座に拒絶できない心理を自覚した
この作品を見たのは結構前のことなのだけれど、また最近思い出したのにはきっかけがある。
私は40代なのだけれど、最近オンラインで知り合った人からセクハラ発言を受けた。
その人も少し年上の40代で、フランス人。なぜフランス人とネットで知り合ったかといえば、私は過去に数年フランスに住んでいて、一応フランス語を勉強していたのだけれど、帰国してからというもの、元々できないフランス語がどんどん衰えているので、とある言語交換の場で知り合ったのである。
だから彼も日本語を勉強している人であり、既に日本に来たことがあって、多少の日本語を知っている。でも読み書きを勉強しようというほどの情熱はなくて、ローマ字で旅行で使える日本語を知りたい、みたいな感じである。
そのため、どうしても私のフランス語の会話練習の比重が大きくなってしまい、時に1時間以上も私のヘッタクソなフランス語に付き合ってくれながら、時折発音を直してくれたり、文法の間違いを正し、適切な言い換えに導いてくれたりと、ちょっと負い目を感じるところがあった。
そして徐々に何か親しい感じのやりとりをするようになったのだが、その中で性的なことを言われて、一度ならまだしも、時間をおいて二回目があったので、一気に気持ち悪くなってしまったのだった。
しかし私は2回とも、言われて即座に拒絶反応を起こすことができなかった。
なんというか、流そうとしてしまったのだ。
しかし徐々に自分の中で湧き上がる不快感に耐えられず、一度目は少し時間を置いてから、「さっきあのようなことを言われて嫌だった」と言った。
その時に軽く謝られ、もう二度としない、と言われたのだが、忘れた頃にまた言われた。
その時もまた流してしまい、しかもその会話が英語だったので(彼は長年アメリカに住んでいるフランス人だった)「フランス語で話したい」と言った。
なぜそれを言ったかというと、こんな風に英語で会話したりするから男女の会話みたいなことが起こる、でも私はそもそもフランス語の練習のために彼と話しているのだ、と漠然と考えて、私なりに
あなたとオンライン擬似情事をしたいわけじゃないのよ。私は真面目にフランス語をやりたいの
と意思表示したいみたいな、そんな意識があったと思う。
しかし相手にそんな遠回しなことが通じるわけはなく、彼の中では、私は彼の性的な発言を受け入れたことになっているのだ、ということに思い至ると、気持ち悪さに耐えられなくなり、
翌日、それまでのフランス語の練習相手になってくれたことへのお礼(実際、彼はその意味では感謝すべきことはしてくれた)と、しかし2回もそのようなことを言われて非常に不愉快であることを伝えた。
彼も謝りつつも、自分は変態ではないし、自分という人間を正しく見られない人と仮想の付き合いをするつもりはない、と言ってきた(これは私の望むところなのだが、笑)。
そしてその後、私は非常に爽快な気分になったのだが、改めて私は
私は相手を辱めることが怖かったのだな
と、過去の、それこそ10歳の頃からの性被害、一般的な痴漢やセクハラといったものなのだが、それに対して、常に即座に拒絶反応ができなかったことが、繋がった気がしたのである。
「自分は性的に加害された」という事実を自覚する怖さ
女子校に6年通った経験から言うと、伊藤詩織さんの言う通り、満員電車で通学する女の子は殆どが痴漢にあったことがあると思う。
男性が考えるように、美少女だけが狙われるとかではない。(私も美少女ではなかった、笑)
痴漢にはあうもの、それにいちいちショックを受けたり、傷ついたりすることが逆に恥ずかしいというような雰囲気があった。それは、自分のか弱さを認めるような屈辱感があったからではないかと思う。
しかし、もちろん平気なわけではない。クズのような男に何かされて傷ついてしまった自分の心を直視できないのである。
見知らぬ電車の中の痴漢に対しては、それこそ怖さから何もできなかったのだが(相当気が強いタイプのクラスメートでさえ、声をあげて捕まえることはできていなかった)、これが知人で、しかも友好的な関係を築いてきた人だと、相手が自分に性的に加害していると自分の中で認めるのに時間がかかるのだ。
だから伊藤詩織さんの訴えの時系列に矛盾を感じる人は多いのだけど、私は全く疑問に思わない。
相手に加害意識がほとんどなく(あるいは見せず)、こちらも起こったことに対して好意的に捉えるのが当然であるかのように接してくると(つまり、英語で言うところのmanipulateしてきてるわけだけど)、自分の中での疑問がおかしいのか、こんな疑問を持つのは相手に悪いのではないかとさえ思ってしまうのだ。
しかし1人になって考えてみると混乱してしまう。あれは何だったのか、との思いが絶えず去来する。
だからあの体操少女は、自分の気のせいだったのか、あんなことは起こらなかったのかとさえ思って、ナサール医師に一度は普通に接してしまったり、再びマッサージなどを受けてしまったりする。
そこで2回目が起こると、疑問が自分だけでは収まりつかず、女の子同士の会話で口火を切って、ようやく
私だけじゃなく、みんな変だと思ったんだ。じゃあやっぱり、あれはそういうもの(自分たちは性的に加害された)だったんだ。
と気づいたのである。
伊藤詩織さんにしたってそうだと思う。彼女の中で、起こったことへの理解に時間がかかるのは当たり前で、私はむしろ、あのような状況(自分が信頼してビザ付き就職の相談をした人から自分が酩酊している間に犯されていた)で起きた瞬間から、「あなたは私を酩酊させ、私の同意なくこんなことをしましたね!」と指摘したりすることこそ、非現実的だと思う。
(ちなみに海外在住経験のない人は想像もつかないくらい、英語圏の就労ビザ、つまり雇用主にビザを出してもらうタイプのものの取得は困難で、普通の応募では相当なスキルがない限り、ない。普通は既に他の種別のビザや永住権で在住資格があることが応募条件になっている。だから伊藤さんのように可能性がある人脈をあたって個人的にお願いするというのは全く普通のことである。)
男性にしても、そして女性でもー
この時間差から短絡的に「おかしい」と言う人は、あまりにも想像力がない、と思う。
ちなみに10代の子供たちが被害に遭い、大人になってから訴えたものとしては、やはりNetflixで見た「キーパーズ」というのがあって、これは女生徒たちを守ろうとした修道女がおそらくそのために殺されている。
こういったKindle本を出してます。kindleunlimited対象なのでぜひ。
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