前回書いていて、思いのほか長くなってしまったの前編、後半で分けることにした。

前編だけ読んだ人に誤解されたくないのは、
なので、急いで書いてしまわなければならない。
カナダで大人が割り切って関係を築いていることに感銘を受けた
私は基本的には共同親権推進派である。日本では何故共同親権に至らないのか、という疑問は実は20年以上も持ち続けている。
そして実際に離婚家庭と、それに派生する親子断絶の例を見聞きすると、
と感じてきた。
うちの両親は曲がりなりにも離婚せずに一応結婚生活を続けていて、特段親権だとかについて深く考えてもこなかった私が、初めて「共同親権」という発想を得たのは、カナダのバンクーバーで、ある家庭に1か月ほどホームステイしたことによる。
家についてみると、今思うと40代後半から50過ぎくらいのお父さんと、35歳にいっているようにも見えないお母さんの女性と、7歳の男の子、4歳の女の子がいた。
いかにもバンクーバーの白人中流家庭が住むといった感じの、統一感のある整然とした住宅街の中の一軒という感じで、綺麗な家だった。玄関を1階と数えると私の部屋はその下だったが、高台に建てられていて部屋には大きな窓があって裏庭に面しているという感じ。その階専用のバスルーム(シャワーブースとトイレ、大きな洗面台がついていた。
その階に私の部屋より少し小さい部屋が2つあった。
子供たちの母親であるミシェルは「あっちはもう一人の娘、ジェシカの部屋よ。今日は帰ってこないけど明日アルバイトの帰りに帰ってくることになってる。もう一つは息子の部屋で、彼はブリティッシュコロンビア大の学生だけど、この9月からは授業登録しないで働く予定よ」と言った。
私は当時、通り一辺倒のやり取りをする程度の英語は話せたものの、こういう時に相手に失礼にならないように突っ込んで訊いて意見交換をするというような英語力もコミュニケーション力もなかった(大学生なので)ので、
と思ったまま、数日を過ごし、徐々に上の息子21歳とジェシカ(高校を出たばかりでコミュカレ生)は最初の妻との子供だということがわかった。いつどのように言われたのか忘れたが、やはり私が釈然としない顔をしたのか、ミシェルにYou look so young for their motherとでも言ったのかもしれない。彼女は話しやすくて色々話してたので、数日経てば、それくらい言えたような雰囲気だったと思う。
この2人は言わば大人なので部屋があっても適当に出たり入ったりしている。息子はたまにしか見なくて(彼女と一緒に泊まってる時もあった)、ジェシカはこの家が拠点なのかな、という感じだった。
ミシェルとこの2人は親子というと違うのかもしれないけど、普通に親しみがある雰囲気だったし、ジェシカが連れてくる友人とも馴染みの仲という感じだった。ある時、日本では運転免許を取るのに3000カナダドルはかかるという話をしたら、ものすごく驚いていて、ジェシカとその友達を捕まえて、日本では免許を取るのにいくらかかると思う?!とクイズにしていた(笑)
ジェシカも息子(実は名前を忘れた笑)もミシェルの子供たち7歳、4歳を非常に可愛がっていて、寝転がって脚にのせて遊んでやる、みたいなことをよくしていた。ちびっ子たちも、やはり兄姉に全幅の信頼を置いていて、ちょっとした外出とかを母親抜きでもしていて、帰ってきた時に4歳の子が泣いてることがあったのだけど、ミシェルがどうしたの?と尋ねると、「silly(おばか)なのよ。なんとかかんとか」とジェシカが答えていた。ミシェルも、あらそ、みたいな顔していて、決して自分の可愛い子供が他人に叱られて腹たつ!みたいな雰囲気ではなかった。
ちなみに別の機会には10歳くらいの男の子も登場して、親戚の子かしらと思っていたら、ミシェルがやはり、自分の7歳の息子と差して、彼ら兄弟なのよ、と言うので、えーと…と思って返答に困ったら、”different mother”と笑顔で言ってきた。おそらく私が混乱したと思ったのだろうと思う(笑)
ちょっと昔のことで、状況の記憶が抜け落ちているが、その少年は上の二人とも違う母親の子だということだった。
とりあえず、私はこの家庭に滞在して、ミシェルの割り切った様子と子供たちが(異母)兄弟姉妹なのだから、という事実の上に素直に関係を築いていることに深く感銘を受けたのだった。
このことに留意してその後を過ごしていると、彼らのあり方はカナダだけではなく北米、そしてヨーロッパ(全体かは不明だけど英国やフランス、その周辺国やスウェーデンなどにおいても)で全く一般的であることがわかった。
だから日本ではむしろ「異母兄弟姉妹がいることを子供に言えない/言いたくない」というような感情が親側にあって、関わりを断とうとするケースも多いことについて、ちょっと日本は親側が子供っぽいところがあるのではないか、と感じるようになったのである。
愛が優先で別れても、子供の権利については守ろうとする人たち
このように親同士が離婚したからといって、片親との関係が疎遠になることもなく、異母/異父の兄弟姉妹とも親たちが努めて兄弟姉妹として互いに愛情を持てるように育てるというのは、離婚した親たちや、そこに入ってくる再婚相手やパートナーが、子供を中心に考えて割り切る努力をしている上に成り立っている。
他に私が驚いたのが、フランスで出会ったカップルのケースである。彼らには女性の連れ子の男の子(当時やはり7〜8歳くらい)がいた。共同親権なので元々の父親の元に時々連れて行く必要がある。詳しい取り決めは知らないが、「今あの子はニースの父親のところ」などと聞いたので、仕事の関係で転々としている父親のところに、子供の長期休み(夏休みのようなまとまった休み以外にもちょくちょくある)の時に送っているようだった。ニースのようにかなり離れているところだと飛行機で行くこともあったみたいで、その場合は父親が迎えにくることもあるものの、多くはパリのモンパルナス駅やらリヨン駅などの大きな駅まで連れていって渡したりしていたらしく、母親の手が空いてない時は、パートナーである男性が子供を連れて行くことがあった。
つまり、母親をめぐる新旧のパートナーが子供の受け渡しをするのだ。
そしてもっと驚くのは、この母親が元夫と別れた理由が、このパートナー男性と付き合い始めたことだった。つまり子供の(生物学的な)父親にとっては、このパートナー男性は「間男」なので、日本だったら絶対に顔を合わせたくない二人であろうと思う。そして女性の方も自分抜きで会わせるなど考えもしないだろう…
実はこのカップルというのは、私の元パートナーの友人たちだった。だからこの異国の日本人の私が「えええ?!」「マジで!」といちいち驚きながら聴き入るのが面白いのか、元パートナーがゴシップのように詳しく話してきたのである(笑)
実は元パートナーはフランスの学歴システムに基づいたエリートで、その友人たちもエリート。女性の方も銀行の日本風にいう総合職で、数学の専門職である。男性の方もエンジニアで非常に優秀。元夫には会ったことないけれど、何かの研究職の人だということである。
正直言って、日本人が想像する「フランスの情事」とは程遠い、メガネをかけた真面目風な人々なのである。
そんな彼らでも一旦火がついてしまえば止められないし止まらない。別れるしくっつく。
それがフランスの普通である。
しかしその後の子供の処遇についてはきっちり両親との繋がりをできるだけ保てるように、両親も間男も(間女も)努力が求められるのである。
共同親権国から日本に逃げ帰りたい元妻たちの事情
…とこんな風に、皆内情は他人の私にはわからないにしても、上手くいっているような例ばかり見てきたので、なぜ誘拐犯のそしりを受けてまで、日本人女性達は子供を連れて日本に帰ってしまうのかな、と割と長年疑問に思っていた。
この問題は日本がハーグ条約に批准する2014年以前から聞いたことがあって、確かアメリカの番組で子供が奪われたという父親が集まって体験談を語っていたり、リポーターが日本の住宅街までやってきて、その日本人妻を待ち伏せしてたり、というのをネットかなんかで見つけて見たこともあった。子供を連れ去られたフランス人男性が自殺した時に、フランスの国会でも議題に取り上げられたということもあり、特に子供を持ちたいとかも考えていなかったものの、
とヨーロッパにて感じていたのである。
でも、その後ヨーロッパに限らず(豪州とか)この問題に直面している日本人女性の事例を読むにつれ、そして私が子供はいないもののフランス人と5年近くパートナー関係を持っていて、
と子供を連れて日本へ逃げてしまった日本人女性達の気持ちがわかる気がした。
彼女達の元夫達の性格や人となりはもちろんそれぞれだと思う。最近読んだブログ(その日本人は逃げずにその国に留まっているけど)だと、婚姻中に仕事を辞めて、鬱や発達障害を理由にマリファナを吸ってプラプラしていて、ブログの表現の通りだとあまりに辛辣なことを投げかけてくるような人で、親と同居だからやっていけてたみたいな感じである。
昔読んだブログだとオーストラリアの人だけれど訴訟をしてお金を得ているような人で、自分にも金を寄越せというような人で、どうにか子供を連れて日本に逃げ帰ったケース。
今まで読んだ中で特にひどいなあ、と思うのは上記の2例だけれども、 そこまでひどくなくて、普通の喧嘩などであっても日本人からすると相手から逃げたい、と徐々に思いつめることはあるだろうなあと思う。
という疑問が出てくる。
私は正直言って、それを越え、そして空港で捕まるかもしれないリスクを冒してでも決行するというのは
と思ってしまう。
と思い詰めるところまできての行動だろうと思う。
子供のいない私とて
異国で必死で産んで、必死で育ててきた子供を置いて帰国するなんてありえない
というギリギリの気持ちが少しは想像できる。
なぜその国に留まらないかといえば、結婚してたから生活ができていたけど、離婚したら右も左も分からない、という人は多いと思う。
その国の制度とか慣習とかは、現地の人にとっては説明するまでもなく当たり前のことでも外国人には何もわからないことも多い。私もフランスで目の手術をし、そのために大きな病院に何度も通ったのだが、当時のパートナーの父親によくついてきてもらった。病院では誰も英語を話さない(わざとではなく一般にフランス人は英語が不得意で、一応話してくれる医師でさえあまり得意ではない)し、起源が日本の奈良時代にも遡り、建物自体も19世紀からあるその大きな病院は迷路のようでもあり、なぜか受付のためだったり、予約のためだったり、が別の場所で、しかも何の検査(全て目)はここ、別の検査はあっちと右往左往しなければならない。
はっきり言って、私は今あの病院に通院するのをやり直すとなったら絶対無理だと思う。フランス人が一緒にいてさえ、混乱するし流儀もわからない。受付の前で、受付の人に無視されたままなのはフランスでは当たり前で、向こうがマダム?とかムッシュー?と言って用件を聞くタイミングを決めるのだということを、私はフランス人と一緒にいてわかるようになった。自分1人だと人種差別と思ったかもしれない笑)。
また、結局手術も入院費も国保(ヨーロッパは日本以上に整っているところは多いのである。よく聞く無保険の事例はアメリカの話で異例である)で賄われたのだが、何やらその手続きも彼らはポカンとした私の横でしていたと思う。
私は時々、パートナーに質問をしたのだが、質問の意味をわかってもらえなかったり、「当たり前だろう」と言われることもあった。
目の手術という問題では大きな病院だったが、普通の内科的なことだと、登録した医師のところに通うという感じ。これは最初の数回はパートナーに同伴してもらったが、後は自分で行かされた。
ところが何か一般的なアパルトマンの1階にある感じなので、道路から入る時の共有のゲートを開けるのにどうすればいいかとか、正直戸惑うことは多い。そういうことが、フランス人では「え?言わないとわからないの?」というようなことがこちらではわからない。
パリには沢山外国人が住んでいて、上記のことができない、フランス語が話せない人用にアメリカンホスピタルというものがある。その名の通り、アメリカ人や、そして日本人駐在員や、他の上記の「現地のフランス人がやっていること」ができない外国人が高くて保険適用外のこの病院に行くのである。
駐在員なら多分駐在員保険で賄えると思うけど、現地人と別れて子供もいて、職が見つかるかもわからない外国人女性にとっては、アメホスは高い。普段行く内科のクリニックは何とかなると思うが、私が行っていたような眼科の病院だったり、おそらくそれと同じような複雑な専門大病院となると、現地人の当たり前を知らない外国人にはお手上げなのである。
それが自分1人のことなら、何とか頑張ろうと思えるかもしれないけれど、子供を抱えて「現地の当たり前(だから説明もない)」がわからない状態というのは本当に不安だろうと思う。
病院とかだけではなく、学校だとか何だとか、結婚している(パートナー関係にある)関係なら現地人である子供の父親や、その家族に教えてもらいながら学んでいけばいいのだけど、別れるとなるとそうはいかないというのが日本人女性を追い詰めているのもあると思う。
なぜなら、私がこれまで出してきたような人々(どちらもその国の人なり、基盤を持って長い人たち)と違って、ヨーロッパで、北米で、豪州で、現地の人と別れることになった日本人女性というのは
である。子供のために割り切り、取り繕おうということになっても、別れることになるということは、さんざん喧嘩などを経ている。恋愛していた時のような気持ちがなく、こちらへの尊敬の感情も向こうは持っていない。自分を愛していた時は尊重していた日本の文化や観念なども、愚かしいことと考えるようになるものなのである。
そして相手の家族というのは曲者だろうな、と思う。私は実は元パートナーと別れるに至るまでのところに、結構それがあった。別に意地悪されたわけではなく、むしろあちらは私のためを思ってあれこれと世話を焼いてくれていたつもりであった。しかしそれは私にとって大きなストレスだったし、むしろこちらが引退した老人の相手をしている気分なのに、相手が私のためと思っているのは非常に苦痛であり、しかしそう感じる自分の心に罪悪感を覚えるというループであった…
元パートナーのことだけでなく、これまで目にしたフランス人の老親と中年の子供、という組み合わせは、日本人のイメージ(個人主義だから独立しているとイメージする人が多いのではないだろうか)とは裏腹に、ものすごおおおおおおおおおおおおおおおく濃い。これぞポタージュスープという濃さである。いやチーズフォンデュ並みかもしれない。
はっきり言って、親バカだし、中年の子供の方も甘えている。特に結構金持ちな人々となるとその傾向は顕著であると思う。
そういった親は、自分の子供と仲が良い限り、子供のパートナーにも甘いし親切なものである。しかし、一旦自分の子供と対立する相手となると、本人以上に「容赦はしない」と立ちはだかるようになる親も多いだろうし、少なくとも「うちの息子があんなでごめんね」などとは言わないだろう。
そこは決して、日本の素敵な義親みたいな展開にはならない、と私は思う。
そして対立する人々となった彼らは、アウェーにいる自分を
ようになるのである。つまり、何もわからない外国人、という見下しである。
といったことが起こるわけである。そしていつまで経ってもその国の言語が完璧に話せない母親というのに、相手もその親も、場合によっては兄弟姉妹も見下しながら何やかんやいうであろう。
日本はこの30年で大分衰退してきたとはいえ、まだ一応経済大国である。医療制度も整っており、安全な良い国である。実家には孫に会いたい自分の親もいる。
それで日本に逃げ帰りたくならない人がいるだろうか?
と、想像でもここまで思うわけである。
…非常に長くなってしまったので…もっと続くかもしれない。
ちなみに私はこういうkindle本を出してます。
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