1992年に起きた小1女児2名殺害事件。飯塚市の児童だったので飯塚事件と呼ばれている。
この事件は「冤罪なのに死刑になってしまった」という弁護人の主張が、テレビなどでそのまま流され、多くの人がそのまま信じてしまっているのが特徴である。
実は私も、当初はそういった報道を見て「まさか?」と驚いて判決文を熟読した。そしてこれは疑われているDNA型鑑定の結果の取り扱いなどを含めて、全方位的に捜査がなされ、状況証拠がかなり揃っているために下った判決であるということがわかった。
それにもかかわらず、足利事件と同じDNA型鑑定(MCT-118型)かつ同じ鑑定人だった、ということで
という話になっている。共通項は、捜査の中で同じ型の鑑定が行われたということだけなのに、なぜかそれだけでこちらも冤罪というイメージづけになっているのである。
そのイメージづけが上手くいっているのはひとえに元死刑囚の弁護団が有能だからで、マスコミをうまくとりこんでるからなのだが、それにしても、その弁護側の言うことなら、こんな無茶苦茶な話も信じる人がいるのか、と呆れてしまうのが
である。
ところで、最初に言っておくと、私は判決文を読んだ結果、99.9%は彼が犯人だったと感じているが、それでも状況証拠のみで死刑執行すべきではなく、以前は不可能だった鑑定などで確実な証拠がもう少し揃ってから、自白を促して貰いたかったと考えている。日本では検察側から再審請求する制度がないし(死刑判決なのでその理由もない)、弁護側が提出する新証拠がしょうもなくて裁判官に審理する必要がないと判断されてしまうと却下されるだけである。
もっと制度に縛られず、新しい技術が導入される度にダメ押しで鑑定できるようになったら良いのではないかと考える。
このあたりも上手くミスリードされてるように感じている。(まるで検察側が再鑑定されたら困るかのような印象付け)
今回は新証言の何がしょうもないのか、書いてみたいと思う。(新証言の方自身がしょうもないと言ってるわけではない)
え?!八丁峠の目撃者に「覚えすぎ」と難癖つけて、その証言は信じるの?
これに尽きる。
ここまでの矛盾もすごい。
弁護団は一貫して、
と主張してきた。紺色のワンボックスで、タイヤの特徴、後方の窓にフィルムが貼ってあったこと、ラインはなかった、などの証言が詳細すぎておかしい、と日大の心理学教授を担ぎ上げて、そんなに記憶できないと主張していた。
ちなみに私も最初にテレビ番組を見ていた時は、「確かに」と思ってしまっていた。しかし色々この目撃者の方の状況や、車の知識などを前提に考えると、その詳細な記憶は極めて自然だと感じた。

そしてもう一つ、八丁峠の人が車を運転しながら、怪しい車を観察する余裕があっただろうな、と思えるのは
ということである。
これは運転を少しでもする人ならわかることだが、
ものだと思う。もちろん渋滞や信号待ちの時にブレーキを踏みながら少しずつ動いてる時のようにはいかないけれど、いざとなればすぐ踏み込めばいいわけなので、ブレーキに軽く足を乗せながらゆるやかな坂を下ってる時というのは、実質ハンドル操作だけに集中していればいいわけである。
しかし、弁護団が担ぎ出した白い車の目撃者の方は、
と証言している。
追い越した車?
…
追い越しざまに見る?バックミラーで見る?無理だろ
ここでよくわからない人は車を運転したことがない人だと思う。
ちょっと考えてみよう。
追い越しざま?
ここで追い越しをした目撃者の方は、その車が片側1車線の道で時速40kmほどで走行してたのでイライラし、どんな人が運転してるか見てやろうと思ったそうな。
いつ?
まさか追い越し様に見たのだろうか?危険極まりない人だな…
私なら追い越し様に左側の車を見ながら走ってしまったら幅寄せしそうで恐ろしくてできない。そして対向車がくるのに気づくのが遅れたら正面衝突である。
正直、二十歳前後の半グレとかならともかく、当時も既に42歳の方がそんな危険運転を?
あと、きっと左ハンドルの外車を運転されてたのだろうか? じゃないと国産車の右の運転席からは左に並走してる車の中は見えにくい。
それでも横を向けるのは1秒かそこらだろう。片側一車線ということは、向こうから車が来ないのを見ながらと言っても、追い越す方は逆走車線に一瞬入ることになるのだから、そんなにゆっくりしてられないのである。右に出したウィンカーから左に出し直して元の車線に戻るのだから、すぐ前を向かないと極めて危険である。
もちろん私が年に何回も運転しないペーパードライバーだからという可能性もあるので、昭和40年代から某地方と都内で40年ほど、長らく毎日のように運転してきた母(もう高齢のため返納)に、この記事のこの部分を聴かせた。
これを読み上げている途中で、うちの母は
「え?追い越しながら?」
と少し笑い出しながら言っていたが、最後まで聴いて、私が「ねえ、追い越しながらそんなの見ることできると思う?」と質問してみると
「まず無理だねえ〜、そんな余裕ないもの」
と言い、私がざっくり事件と、元死刑囚の弁護団が最近になって担ぎ出した目撃証言だというと、「馬鹿らしい…(笑)」と言っていた。馬鹿らしい、というのは「そんな状況でそんな目撃できるわけないでしょ」という意味である。ちなみにその後、やはり運転歴の長かった父にも訊いてみたが概ね同じ回答であった。
前方に入ってからバックミラー越しに?
さて、追い越しざまに一瞬並走することになる横の車の中の3人を目撃者がいうように観察することはほぼできないと思うのだが、そうなると次のチャンスは
ことしかないわけである。
これも普通に車を運転したことがある人なら、かなり疑問ではないだろうか。
なぜなら、追い越してから前方に入るということは、その目撃者の方は後ろの車より速度を結構上げてるわけである。そこでいきなり同じ速度にして後ろの車との車間距離をつめるようなことしたら
ではないだろうか。
片側一車線で車線変更して追い抜きができるのだから、かなり空いてる状況なはずである。
私はむしろ追い抜かれる方だが、追い抜いた車はいつもあっという間にはるか彼方に走り去っていく。もし自分を追い抜いた車がいきなり速度を落としてきたら、追突させようとする詐欺じゃないかと思ってしまう。
でも、まあ速度を落として車間距離を一定に保ったんだとしよう。
そうだとして、渋滞ではなく空いた道路で車間距離は、たとえ時速40kmで走ってるとしても適正な距離は40m以上である。もし接近するようになると危ないので、後ろの車がさらに速度を落として距離を広げるはずである。
はっきり言って、
運転手と助手席は、まあ見えるかもしれないが、後部座席は無理である。
百歩譲って、子供が2人いるのは見えるんだとしても、
これは絶対わからないと思う。
あの弁護士さんは、八丁峠の目撃者が車の特徴を色々言ったことについて「ありえない、ありえない」と言ってたが、私から言わせれば
と思ってしまう。
あんなにも八丁峠目撃に「そんなに記憶できない」って言ってるのに、こういう無茶な目撃証言を「新証拠」と言って出してくるって、ものすごいな…と感じてしまう。
ただ、もちろん彼らだって本気にしてはいない。これで再審請求が通るとも勿論思っていないだろう。「ジャーナリスト」達もマスコミも本気にしていないわけだが、すごいのは本気にしてしまう視聴者、読者がいるわけである。
なぜ誘拐してから2時間半も現場付近を運転し続けていたのか?
ここがおかしな点である。八丁峠のような人目のつかない方に行くのでもなく、福岡市の方に行くにしても2時間半あったらとっくに着いている。
新証言の目撃地点は現場から近すぎ、そして8時半からランドセルを背負ったまま?
目撃地点は八木山バイパス上で、詳細は書かれていないので福岡市方向で一番端の方である篠栗インターチェンジまでの距離を見たとしても2人がいなくなったと思われる地点からの距離は14kmで、18分である。とはいっても40kmで走行してたなら21分ということだろうか。
普通は女児たちを知る人に見つかるのを恐れて、すぐに人目につかない方に行ったり、遠くに行ったりするのではないだろうか。
そして私が非常に違和感を覚えるのが
たとえ8時半にいなくなった女の子が車に乗り続けていたとして、その目撃した時刻の11時まで、車の中でランドセルを担ぎ続けているというのは感覚的に変である。
もちろんちょっと学校まで車なら1〜2分のところを乗せていってもらうつもりで乗り込んだのだからおろしたりしないのはわかる。だがランドセルを背負ってると椅子には浅くしかかけられないので、2時間半も背負い続けて乗ってるのはかなり子供には負担である。
しかし飯塚市内の国道・八木山バイパスということなので、誘拐された地点から長くても20分程度の距離なのである。2時間半かけて、まだそこを車で走行してるってことは、一旦どこかで停まってたりするわけである。まさか誘拐してからぐるぐるあてもなくドライブし続けてるわけではないだろう。どこかで停車して1人だけ殺害し、もう1人の悲しげな子には何もしなかったというのだろうか。ただ性暴行だけはされてたのだとしたらランドセルを背負わせたままというのも…?という気がする。もちろん犯人もそんな気など使わないし、女児の方も恐怖でそれどころではないと思うが、犯人にとっては加害する際にランドセルは邪魔だろうし、一旦おろさせたランドセルを女児がまた背負うというのも変である。
1審から傍聴している新証言者?
私はこの弁護団側の「新目撃者」という方がどういうつもりなのかよくわからない。たった今youtubeから探し出した福岡のテレビ局の特集番組での様子を見ると、その方ご自身はかなり本気な様子ではあると思う。
死亡推定時刻との矛盾
まず新証言によれば、少なくとも1人の子は11時の時点で生きていたことになる。しかも国道を福岡方面に運転してたわけだから、目撃の1分後に殺害したとは思えない。
胃の内容物や消化から割り出された死亡推定時刻は2人とも誘拐から30分後の9時までには殺されているということである。これは朝食後1〜2時間以内の状態(朝食が未消化で胃に残されている)、とかなり時間を限定しているので、法医学の知識はなくとも、それが4時間以上でもありえる、とは思い難い。
ぞんざいな感想を言わせていただくと、全然関係ない親子の車を一瞬見たんだろうなと思う。仮に追い越しざまに、もしくはバックミラー越しに見て女の子が悲しげだったんだとしても、子供が親と居て悲しげな表情をしているのは何らおかしくはない。叱られてたり、親子で辛いことを話してたり、体調が悪ければそうなる。
平日なのに学校はどうしたのか、というところから誘拐を一瞬疑ったらしいが、平日の11時に県の中心である福岡市に向かう事情のある親子はそれなりにいるであろう。具合が悪くて早退して病院に向かっているのかもしれないし、お母さんなりおばあちゃんなりが事故にでもあって急いで病院に向かっていたのかもしれないし、カルト宗教がらみなのかもわからないし、学校より何かを優先させてる(五輪選手にさせようとかね)のかもしれない。
ちなみに私は小学生の頃は喘息がひどく国立病院に通っていたのだが、そのために時々早退し、母の運転する車で1時間くらいかけて行っていた。妹が1〜2年の頃だと4時限目までしかない日は、その時間までに我々が帰れないので彼女も早退させることも何度かあったのを覚えている。私は80年代の小学生なので被害女児たちより年上だが、連絡帳に親が早退させますと書いて、主に病院関係などで早退するのって私以外でもよくあることで、親が教室の外で休み時間になるのを待って、先生に一言挨拶し、子供を連れ出すという感じだった。
八木山バイパスというのは国道201号線ということだから、行橋市、田川市からずっと繋がっているわけで、飯塚市のあたりではちょうど国道200号線とか211号線とも交差している。つまり福岡のかなり広範囲な地域、もしくは大分から来ている車がそこを走っている。それくらいの範囲であれば何らかの事情で平日に子供を早退させて走っている車は何台もあるだろう。
なぜ翌朝まで待って通報?
これは人の感覚の問題なのかもしれないし、こういうことを書くのも申し訳ないが…
という点も、少し不可解に感じる。その方は、その日ご自宅のテレビで行方不明のニュースを見て、「さっきの車に乗ってた女の子では」と思ったそうである。
最近、小倉美咲ちゃんのものと思われるお骨や遺留品が発見されて、また注目されているが、3年前に彼女が失踪した時は大きく報道されて、リアルタイムで捜索されている様子も流れていた。私も家族も、その映像を見ながら、早く生きて出てきてほしいとヤキモキしていたものである。
また、大和くんという名前の子がお仕置きで車から出されて置き去りにされ、お父さんがすぐ戻ったつもりが行方不明になり、何日かして無事見つかった事件があった(これは何故か国際ニュースになり、私は当時フランスにいたが話題になっていた)。その時もリアルタイムで日本中どころか色んな国で心配されており、外国人でさえGoogleマップで分析してああじゃないかこうじゃないかと書き込む人々がいた。
子供が今、この瞬間どこかで迷っているとか、誘拐犯に酷いことをされているとか、そんなことを考えたら知らない子でも本当に心配であり、
と思うのだが、朝まで待つ理由は何なのだろうか?一刻一秒を争い、警察も親御さんも夜通し必死で探していたのである。子供がどこでどういう状態かもわからず夜を越すというのは親御さんにとっては身を切られるような辛さだろう、と想像して辛くなる。そもそも子供がかわいそうでならないから一刻も早く助けたい。誘拐だとしても夜にずっと遠くに連れ去られれば見つかりにくくなるが、国道201号線で見たという情報ですぐに検問を敷けば見つかるかもしれない、とテレビを見ながらでも通報するものではないだろうか?
一審から傍聴されてたのなら何故?
あと、この目撃者の方は一審から傍聴されてたそうである。
…
DNA型鑑定で一致したというから自分の目撃が間違いだったかと思った、ということだが、
ここでガッチリ書いたように

一審からMCT-118型のDNA鑑定は証拠として不十分であるという結論であった。検察側も逮捕に踏み切れないものとしていたくらいで、当然公判でも弁護団はそれをガンガン主張していた。その結果である。そのため他の多くの状況証拠と併せての判決だということは、傍聴されていたなら理解されていたはずだと思う。
メディアではあたかも足利事件をきっかけにMCT-118型のDNA型鑑定結果が証拠から外されたかのように言っているが、一審から傍聴されていたなら、それは違うとご存じのはずである。
学校近くの三叉路で4人もの人がマツダのボンゴが駐車していた、もしくは走り去ったところを目撃していて、更にその2時間半後に1人が遺留品発見現場近くの山道でマツダのボンゴと思われる特徴を持つ車が停まっているのを見ていた。
これらの目撃証言の一致は、他の証拠と併せて判決に導く要素の一つになったのは確かである。だから、本当に犯人と被害女児の乗る全然違う特徴の車(白い軽バン)を見かけたと思っていたのであれば、地裁を傍聴された後に弁護団に情報提供を名乗り出なかったのは何故だろう。
八丁峠の目撃証言も11時ごろということになっているし、車の色や車種などが違うので、それが犯人に相違ないとされていく中で、自分は被害女児に似た子を見た気がする、と少しでも思うならば死刑判決が地裁で出た時点で、弁護団に何らかのアクションを取るものではないだろうか。
そうすれば弁護団は高裁で証拠として出せたのではないかと思う。
最後にもう一度言わせていただくと、私はその弁護団の目撃者の方も、番組の様子では真剣に目撃されたと信じておいでなのだとは思う。
ただ、弁護団のあまりの矛盾ぶりに、突っ込まずにはいられなかった、というわけである。
ちなみに私は左寄りな人間です。極左ではないけど。

こんなkindle本書いてます。unlimited対象
コメント
はじめまして。
私もNHKの特番(3時間)を見てこの事件に興味を持ち、その後判決文を読んでみたり
関連動画を見てみたりしています。
そんな折にみずたまさんの動画に当たりました。そしてこのブログへも。
今の考えとしましては、みずたまさんと同じです。
で、この考察(6)に関しまして差し出がましいようですが・・・
白い車を追い越したのは追い越す直前までは片側1車線で追い越しができませんでしたが、
登坂車線がはじまり、進行方向に向かい2車線になるところで追い越しを始めたとなって
います。
本線で追い越したのであれば、白い車は左側。登坂車線へ車線変更し追い越したのであれ
ば右側から睨みつけたことになりますね。
いずれにしましても、死亡推定時刻を前提として別人だと思っています。
youtubeでもコメントくださった方ですか?ありがとうございます。
承認が遅れ、申し訳ありません。
そうですね、この記事を書いた時は片側一車線と認識していました。
上り坂車線ですと対向車には気を配らなくて良いですね。
それでも、アクセルを踏みながらじっくり横を見るのは難しいと感じます。
死亡推定時刻もそうですし、目撃地点が現場から割と近いというだけで特別重要証言になる要素はないと考えますね…
この頃八木山バイパスって有料道路では無いのですか、間違っていたらすいませんがもし有料道路なら犯人が利用するのかな?
承認遅れました。
動画のコメントで、当時は有料だったと教えてくださった方いました。
そうですね、有料だと当時は料金所で料金の手渡し。料金所の人に覚えられることを危惧して利用しなさそうですよね。
検察官からも再審請求できるのでは…刑訴法439条
検察側が勝っているわけですから、検察側が再審を請求する理由がありません。