飯塚事件の考察(5)多くの幼女への性加害犯罪は露見しない

1992年に起きた、小1女子2名の殺害事件。後に起訴された男は死刑判決を受け、2008年に執行された。

そして弁護団の主張をそのまま流すテレビ番組を見た人の多くが

冤罪だったのに死刑執行されてしまった

と信じている。実は私も最初はそうだった。

しかし1999年の福岡地裁の判決文、2001年の福岡高裁の判決文を読むと、巷で信じられているような「MCT-118型のDNA型鑑定が決め手で判決が下った」とか「警察が誘導した目撃証言だった」ということは全然ないことがわかる。

そのあたりについては既にじっくり書いているので読んでいただきたい。

飯塚事件への考察。冤罪派の印象操作
冤罪だったのではないかとよくメディアにも取り上げられる飯塚事件。その理由は、最終的にDNA型鑑定のミスが指摘され、無罪になった足利事件と同じMCT-118型のDNA型鑑定が犯人が残した血液の鑑定に使われていたからである。この事件を扱うテレビ番組のほとんどは冤罪を確信させるような扱い方だが、判決文を読むと…
飯塚事件への考察(2)八丁峠の目撃証言は極めて自然であると考える
冤罪が広く信じられている1992年の飯塚事件(小1女児2名殺害事件)。DNA型鑑定が決め手となって死刑判決が出たわけではないことは前回くどくどと述べたが、それと同じくらいテレビ報道で歪曲されているのが遺留品遺棄現場にいた車と人を見かけた目撃証言についてである。目撃者の名誉回復に役立ちたい。

ちなみに私自身、この状況証拠の組み合わせは、99.9%は彼が犯人であることを示していると思いつつも100%ではないのだから執行は間違いだったと考えている。

むしろ以前は不可能だった再鑑定が可能になって100%を実証すべきであったと思う。

今回は、冤罪派の人で

それまで性的倒錯の痕跡がないし、結婚して子供もいるのだから、小児性愛ではないんじゃないか

と思っている人が多いので、そこについての考えを書いていきたい。

事件は突発的で場当たり的なもの

幼女を暴行して殺すというと、まず宮崎勤を浮かべる人が多いと思う。また、奈良県で小1女児を誘拐殺人した小林の印象も強いかもしれない。

彼らは書くのも吐き気がするが、遺体を弄んでおり、撮影をしたり遺族を挑発するなどして、殺害自体を含む目的で女児を物色していたところがある。

反面、この飯塚事件は、多くの成人女性の強姦殺人事件と同じく、生きて帰して強姦が発覚するのを恐れての殺害だったと考えられる。

前回書いたように胃の内容物と消化の具合から、2人はほぼ同時に殺害されており(拉致から30分以内だったとされている)、性暴行直後に殺害され、すぐに遺棄されていると見られる。

2人は学校に通じる三叉路付近でいなくなったということが前後の目撃証言からわかっているが、この日は1人が体調不良のため、たまたま遅刻の時間帯に2人だけで歩いていた。

軽自動車を運転していた農協勤めの女性は、2人が顔見知りとかではないものの、やはりその時間帯に子供が歩いているのが珍しいので、1人の子が黄色い上着を着ていたことを含んで記憶していた。

子供を狙って待機していたのであれば、殆どの子供が学校の中に入ってしまった時間帯にたまたま遅刻してきた二人組を攫うことにはならない。

そのため、犯人の方も何か意図があってそこにいたのではなく、何か小休止なりこれから何しようかなどと考えていた時に、2人が歩いてくるのが目に入り、声をかけてしまったのではないかという気がする。

ちなみに三叉路を通った(もしくは車を停めて歩いた)4人の目撃証言をよく読むと、当初マツダのボンゴは駐車していて、2人目の農協職員の女性の車が通りながら目撃した後に、男性が黒みがかった紺色のマツダのボンゴが自分を轢くのではないかという乱暴な運転で通っていった、という。

とすると1人目の農協職員の女性(少女たちを目撃)が通り過ぎた後に、少女たちはこの車に乗り、2人目の農協職員の女性(少女たちを見ていない)が通った後に、農協2人目の女性の車と合わせて記憶していた別の男性の目撃情報により、この車は動き出して小学校方面に向かったということがわかった。(ここらへんめっちゃややこしいので地図を出し、図に書いて整理した笑)

ということは、車を駐車していたら、たまたま歩いてきた女の子達を車の中に誘い込んで数分ですぐ発車していることになる。

そして、国内外の色んな事件やら、事件を元にした小説やらを読んできての単なる想像からいくと、乗せた瞬間は案外犯意はなかったんじゃないか?という気がする。

成人女性相手の強姦殺人犯の供述などでは、大体が突発的な性衝動に駆られて反抗に及んだとある。

自分を信頼して乗り込んだ、可愛らしい1年生の2人の姿をバックミラー越しに見て、瞬間的に欲望を覚えてしまい乗せていってあげるはずの学校に向かわず、後に引けなくなったのではないだろうか。

ペドフィリアは、一見「普通の人」にも見られる

幼女の強姦殺人というと、我々は宮崎勤のような、いかにも社会に馴染めない、成人女性との交際ができないひ弱なオタクタイプと連想しがちだが、実際のところはそういうタイプばかりではない。大人の女性への感情とは別に、幼女への気持ちを隠し持つ「一見普通の人」が結構いるのだという。

殺害するまでいかずとも、結婚して自分も子供がいるようなタイプの男が、潜在的に持っていたペドフィリア(小児性愛)の欲情を覚えてしまい、出来心で性加害を加えることは非常に多いのである。

例えば海外の告発などを聞くと、実の祖父が孫娘に加害していたという事例もそこまで珍しくなく存在する。しかし孫娘の母親である実娘には加害したことはなかった。自分の娘が大人になってからそういう異常性愛感情が芽生え、孫に向いたという人がいるのだ。

日本のケースの多くは、その相手はそれまで優しげにしてくれていた近所のおじさんやらお兄さん、親戚の男、継父、教師、コーチなどのようなケースが多い。そいつらは子供たちが行為の意味を理解しないことや、羞恥や恐れを利用してマインドコントロールし、事件が発覚しないようにする。

私が思い出すのは、小学校にいた男性教師である。この人は私の学年の担任ではなかったので、あまり関わったことはない。しかし小学校2年の、確か夏休み期のプールだと思うのだけど、学期中の時と違って低学年の子でも男女別の更衣室で着替えていた(学期中は教室…今思うとなんで?)時のことである。泣いている1年生の女の子についてきて「はいはい」と言いながら確か4年生もいるのに更衣室に入ってきた。1年生の子が下着か何かなくなったと泣いていて、探しにきた、という態だったが、私はその時、自分でも説明できないような違和感をこの教師に感じた。純粋に対処している先生、という以上のわざとらしい感じがしていたのである。

しかし当時は教師が小学生に性的な関心があるなどということは発想がなかった。だから何も感じないようにしたのだが、結局この教師は女子生徒への「いたずら」が発覚した。別の学校に転任になった後だったが、私の母がよそのお母さんと話している時に、その教師の名前と「いたずら」という言葉が出てきて、何のこと?と思いつつも、あの更衣室の時の違和感を思い出していた。

その教師は年齢は子供の印象なのでわからないが、結婚もしていて自身も子供がいる人だったから30代にはなっていただろう。子供がいるというのは、母達の会話で知った。そして他の先生よりもシュッとしていて風采の悪くない感じだったと記憶している。だから母親達は驚いていた。

前にnetflixのドキュメンタリーでも、10代だが体操ばかりやっているエリート少女の世間知らずにつけこんだ、チームドクターの加害について書いた。

【Netflix:あるアスリートの告発】伊藤詩織さんも、少女も、おばさんも、なぜ性被害への拒否反応が遅れてしまうのか
Netflixで見た「あるアスリートの告発」は10代で体操のアメリカ代表選手を争う少女が経験したチームドクターによる性虐待にまつわる話なのだけれど、アメリカの少女でもやっぱり「自分は性的に加害された」と自覚するのに時間がかかるのだなとつくづく思った。伊藤詩織さんもそうだし、中年になった自分でさえまだそういうところがある、ということを改めて思い起こさせる。

そういうわけで、小児性愛の欲求は、成人女性に相手にされないタイプだけに見られるわけではない。

子供の無知や混乱につけこんでエスカレートする性加害

日系フランス人のミエ・コヒヤマさんは5歳の時に親戚の男から加害され、あまりにもショックが大きく、親御さんに言わず、記憶にも残さずシャットアウトしてしまった。しかし幼いながら絵に描き残し、5歳児ながら「助けて(O’secour)」と書いていた。そして大人になってからフラッシュバックし、自分がされたことの意味を理解したというのである。

私ももう少し大きくなっていたが、満員電車に母と乗っていた10歳の時、あまりの混雑に人の流れに押されて母と少し離れてしまった。母は私の方の様子を見続けてはいたが、ある駅でやはりドドド…という人の流れの瞬間に、私の股を強く掴んでいった人があった。私はそのことを35年経った今も忘れないくらいショックだったが、降りる駅になって母と一緒になってからも何も言わなかった。男性には理解できないかもしれないが、同性の母であっても、何となく自分がものすごい屈辱的なことをまるで道端の雑草の花を踏みつけられるようにされた、と感じて私は言えなかった。

そして何と!40代になり当時の母の年齢を超えるくらいの今になっても、私はこれを老いた母に言えない。しかしこの話をすると、共感してくれる女性は多い。

幼女への性加害者というのは、こうしたことを重ねて常習化していくのではないかと思う。つまり、最初はちょっと触れたり膝の上に乗せて何かしたり、水遊びといって服を脱がせたり…というようなことをしていて案外発覚しないまま過ぎてしまい、加害の程度がエスカレートすることが多いのではないかと思う。

現代はもう大分ペドフィリアというものが知れ渡り、親もかなり警戒するようになったが、1992年当時は幼女におかしなことをするのは宮崎勤のような不審人物で、子供がいるような男性はそんなことしないと考えられていた。(だから上記の小学校教師も、子供がいるということにうちの母は納得しかねる顔で驚いていた)

当初は誤魔化せるレベルで加害していたのが、ある日抑えきれずに発覚が免れない程度まで加害してしまうとどうなるのか…幼女への性加害というのは他の犯罪と比べてもあまりにも不名誉で地域社会から一気に居場所を失うものである。自分だけではなく、家族も立場を無くしてしまう。

もし犯人が「学校まで乗せていく」と誘い込んだのに、瞬間的な欲情から学校の前でも止まらず、そのまま通り過ぎてしまったら?

いくら小1でもその行動を不審に感じて、2人で「学校過ぎちゃったよ」「どこいくの」と騒いでしまうと思う。たとえ「ごめんごめん」と引き返して学校で降ろしたとしても幼女を連れ去ろうとしたということが露見してしまう。そして、久間のように既に何年か前の女児失踪事件でマークされている人間だったとしたら…

ところで、その失踪事件でマークされているのに、自分が疑われることをするわけがない、と言っていた人がいる。性犯罪者の多くは再犯願望を抑えられないのは有名な話である。私はその失踪事件に関しては資料も読んでいないし、状況を聞くと非常に怪しくは感じたが何とも言えない。ただ、もし彼が犯人だとしたら、彼は「証拠がない限り、警察は逮捕できない。起訴もされない」ということを学んでしまっていた、ということになる。

 

筆者はkindle本を出しています。

 

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