飯塚事件への考察(4)朝8時台に車を走行しているが仕事などの予定はない人物

先月のNHK BSでの放送で、民放並の偏向報道に驚いてTwitterで呟いたらやたら絡んでくる人がいて、その人に答えるためにいちいち判決文を読み返して答えていたら際限なく、なんでどこの誰とも知らぬ人1人のためにここまで返信しなきゃならないのかと思い、ブログに書いていくことにした。

そういうわけでこのブログでシリーズ化して書いている。

飯塚事件への考察。冤罪派の印象操作
冤罪だったのではないかとよくメディアにも取り上げられる飯塚事件。その理由は、最終的にDNA型鑑定のミスが指摘され、無罪になった足利事件と同じMCT-118型のDNA型鑑定が犯人が残した血液の鑑定に使われていたからである。この事件を扱うテレビ番組のほとんどは冤罪を確信させるような扱い方だが、判決文を読むと…
飯塚事件への考察(2)八丁峠の目撃証言は極めて自然であると考える
冤罪が広く信じられている1992年の飯塚事件(小1女児2名殺害事件)。DNA型鑑定が決め手となって死刑判決が出たわけではないことは前回くどくどと述べたが、それと同じくらいテレビ報道で歪曲されているのが遺留品遺棄現場にいた車と人を見かけた目撃証言についてである。目撃者の名誉回復に役立ちたい。
飯塚事件への考察(3) 「〜だから怪しい」レベルの話。
シリーズ3回目。冤罪の噂が高い飯塚事件を調べてみたら、多くの人が信じてるように「冤罪だった」とは思えなかった。既に判決文のまとめは書いているのだが、今回は裁判上の堅い議論より、もっと「〜だから怪しい」というようなレベルの話をしたいと思う。

ほとんどのテレビ番組のミスリード

さて、別に正義の味方ではなく依頼人の味方である弁護団が、どうにか切り込めるところを探して無罪を主張するのはそれが彼らの仕事なのだから当然なのだが、この事件を扱うテレビ番組のほとんどがその主張通りに伝えているから、多くの視聴者が

冤罪の可能性が強かった

と信じてしまっている。実は私も最初はそう感じて調べ始めた。

しかし判決文を読むと、テレビ番組で言っていたこととは悉く違っていて

犯人が残した血液(被害者と混じって検出が難しい上に微量)のDNA型鑑定の信頼性の低さは福岡地裁の時点で指摘されており、有罪の証拠として決め手になっていない(1999年)
そもそもDNA型鑑定結果が出てからも検察側が「証拠には弱い」として2年以上逮捕すらしていなかった(逮捕は被告車両と被害者の服に複数付着していた繊維痕の一致)
八丁峠での目撃者が車の特徴を詳細に記憶できた理由(職業、峠における土地勘、車社会の人特有の車の知識など)

などが明確にわかる。結局犯人のDNAではなく他の状況証拠があまりにも重なっていることで出た判決だったのに、まるで足利事件のようにMCT-118型DNA型鑑定が決め手だったとミスリードしているのだ。

0.1%の冤罪の可能性がないわけではないから、私も執行するべきではなかったとは強く感じる。まだ被害者の衣服などから犯人の皮膚組織など、昔は鑑定サンプルとして難しかったものが採取できたのではないか…そこではっきりすべきではなかっただろうか、と思う。(それから実は私は消極的だが死刑廃止論支持でもある)

とりあえず犯人のDNAではなく、被害女児の1人のDNA型(後発のTH01型)が久間の車両のシートから取れているというのは、決定的な証拠には不十分(殺害時の血液かまではわからないからである)であるものの、この状況証拠を筆頭に、彼が犯人であることを強く疑わせる証拠は多く出ているので、ここまで読んでも尚…という方はこちらを読んでいただきたい。

飯塚事件への考察。冤罪派の印象操作
冤罪だったのではないかとよくメディアにも取り上げられる飯塚事件。その理由は、最終的にDNA型鑑定のミスが指摘され、無罪になった足利事件と同じMCT-118型のDNA型鑑定が犯人が残した血液の鑑定に使われていたからである。この事件を扱うテレビ番組のほとんどは冤罪を確信させるような扱い方だが、判決文を読むと…

1992年当時に午前中いっぱい予定がないのに午前8時台に車を走行する男性

今回は前回と同じように「〜だから怪しい」というレベルの話として、この話をしようと思う。

私自身がそうなのだが現代はフリーランスという人が多いし、しかもここ2年ほどは会社員でもリモートが多くなったりと生活は変容している。

しかし、1992年当時、特に地方ではそのような人は多くなかっただろうと思う。もちろん皆が朝から夕方まで仕事という形態ではなかっただろうが、

むしろ朝8時半に車を運転している人が、その後仕事とかどこかに行くわけでもなく、午前中の予定が空いていた(甘木市の山中まで遺棄しにいける)、というのはかなり絞られる要素
ではないかと思う。

なぜなら私も時々はウォーキングとかコンビニ行くとかで、特別な用事があるわけでもなく朝から外に出ていることもあるけれど、やはりそういうことは少ない。私みたいなタイプは基本夜型で、朝8時台というのは起きてはいてもまだ外に出るほど活動的ではないのだ。

しかも、平日の朝8時台に車であてもなく運転している、というのも妙である。

福岡県内の別の市の人にこのあたりについて聞いてみると、今でこそ変わってきたものの、90年代前半当時はコンビニもなく、朝の8時台という時間に買い物とかの用事で出ていた帰り、ということはないんじゃないかと言っていた。

ちなみに当初の供述によれば久間は妻を職場に、子供を学校にそれぞれ送った後、被害女児たちが失踪したと計算される8時30分前に地点付近を通ったとされている(ただしそれを刑事に指摘された後に供述を変えて直接母の元に向かったので通っていないと主張した)。そして4人もの人に(その中で色やフィルム、後輪のダブルタイヤまで記憶していたのは2人だが)車を目撃されている。

なるほど無職と言っても当時は珍しく男女の役割分担が一般と逆で、彼は専業主夫であったので、単にブラブラしてるわけではなくて、妻と子供を送っていくという役目を果たすために朝の8時台に車を運転していたのだった。これは女性の専業主婦ならよくあることだろう。

しかし、1992年当時そういう男性は珍しいと感じる。普通その時間帯に運転している男性は、その後午前中は仕事などの予定がある(ために職場などの目的地に向かっている)ことが多い。

朝からブラブラとしている人も多いじゃないかと言う人がいるかも知れないが、例えば当初彼が言っていた10時20分からパチンコをしていたということにしても、そのパチンコ店も福岡県では10時からの開店と決まっている。だから一般の勤め人でもなく、自営業にしろ午前中は働かないタイプの人が遊興のために動き出すとしても朝8時台は早いのではないか、と感じるのである。

もちろん今なら、そして都会なら、スポーツジムに行くフリーランサーとか、午後出社する人とか、何かしらの朝活してた人、とか色々ありうるのだが、1992年の現場ではあまりそういうことはなかったように思われる。

そこからして、久間の状況(朝に妻子を送った後は午後に子供が帰るまで仕事などの予定があるわけではない)は、その地域では稀な状況であったと思う。

さらに、犯人は2人の少女を攫ってから、かなりすぐに殺害している。これは食べ物の消化具合から割り出されているが、大体30分以内に性暴行と殺害を行っていると見られる。

遺留品の発見現場で、11時ごろに目撃された車と人物は(仮に車の特徴などの目撃者の記憶を信頼しないとしても)普段の車がほとんど通らないことからしても犯人と考えられるが、そうすると飯塚市から場所を探しながら遺体をまず遺棄し、それから遺留品を遺棄したと考えると

犯人は他の幼女強姦殺人事件に比べ、暴行殺害後にすぐ遺棄の行動を取った

ということが言える。

気分が悪くなるので書きたくないが、こういう犯人は通常、殺してからも陵辱を続けることが多い。殺害してからも数時間から数日、遺体を留めおく。

しかし、この犯人はそれがない。誘拐してかなりすぐに暴行して殺害し、しかも運転しながら遺棄できる場所を探し、埋めたりすることもなく国道沿いの山林に遺棄しているのは、何か時間に焦っているかのようにも感じる。

そこからすると、まずこの犯人は、遺体を乗せたまま自宅には戻れず、さらに午前中に遺棄しなくてはならない環境にあったのではないかとも推測できる。

実際、地元では1年生女児が登校してきてない、ということで早い段階で騒ぎになった。もし久間が犯人であれば、彼も2年生の親であり、そうなることは当然承知していたと考えられる。そうであれば、警官も出動しているかも知れず、単なる聞き込みでも車を止められて、後部座席を見られたら一巻の終わりである。ここからしても、遠くから来た人物がたまたま通りがかって拉致し、というより久間と同じように時間の空いていた地元の男である可能性が強い。

そして、午後早い時間に息子が帰宅するため、それまでに帰宅する必要が彼にはあった

朝8時台に車を走行し、その後午前中は仕事や予定もなく、しかし午後早い時間までに遺棄していなくてはならないー 大都市なら山ほどいるが、あのあたりではかなり絞り込めるだろう。

顔見知りだったからこそ殺害までいってしまった可能性

久間が犯人だったとすると、自分の2年生の息子を学校まで送っていった後なので、2人が遅刻する時間になっていることは見て取れた。「おーい、どうしたんだ」と声をかけると1人の女児がお腹が痛い(体調が悪く、薬も飲んでいた)と言うので、ふと「乗っていくか」と提案したら素直に乗り込んだのではないだろうか。

計画的にしては、2人はその日、たまたま遅い時間に通学路を歩いていた。しかも、当初は3人で登校するはずだったが、被害女児のうち1人が体調が悪くグズグズしてしまい、1人の子が遅刻したくなくて先に行ってしまった。だからこれは、たまたま女の子2人が前後に誰もいない状況で歩いていたのを見つけた犯人の、ふと魔が刺した末の事件だったと思う。大体において強姦事件の多くは「たまたま被害女性を見かけて衝動的にやった」というところに端を発している。

しかし通り魔的であれば殺すまでしなかったかもしれないが、顔を知られてれば「もうこれは後戻りできない」って決意してしまった瞬間があっただろう。

「いやいや、宮崎勤も、奈良小1事件も見知らぬ相手だった」と思うかもしれないが、宮崎は元々撮影したり遺体を送り付けたりし、奈良の方も携帯を使って遺族を挑発するなど、かなり異質な事件である。

この事件はあくまで幼女強姦の発覚を恐れて殺害に至ったと見るべきだろう。成人女性の強姦魔としても十分生きていけなくなるのに、幼女強姦となれば何もかも失い、自分の子供にも合わせる顔がないだろう。

さてはて、筆者はこういうkindle本を出しております。

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